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日々の雑感

阿弥陀仏の四十八願:私たち衆生に「期待」されていることとは?

阿弥陀仏四十八願は、法蔵菩薩阿弥陀仏の修行時代の名前)が仏になるにあたって立てた誓いです。その多くは、「私が仏となった時、私の国(極楽浄土)がこのような素晴らしい場所でなければ、あるいはそこに生まれる人々がこのような状態でなければ、私は仏にはなりません(正覚を取りません)」という形式で、阿弥陀仏自身の誓い、そして仏となった暁の国土(極楽浄土)とその住民の状態を約束するものです。


これらの願を、「阿弥陀仏が私たち衆生に何かを『期待』されていること」という観点から見てみましょう。直接的に「〜してほしい」と依頼する形ではありませんが、衆生が特定の心構えや行いをすることで、阿弥陀仏の願に応え、その救済の対象となることが示されている願がいくつかあります。


これらを「阿弥陀仏衆生に期待していること」あるいは「救済への道として示されている衆生の行い」としてリストアップすることにしました。
* 第十八願 (至心信楽の願) より:
* 心から阿弥陀仏とその浄土を信じ喜び(至心信楽
* 阿弥陀仏の国(極楽浄土)に生まれたいと願い(欲生我国)
* 少なくとも十回、阿弥陀仏の名を称える(乃至十念)こと。(ただし、五逆罪を犯したり、仏法を謗る者は除く)
* 【補足】 この第十八願こそが、わたしたちが阿弥陀仏の名を称えること(念仏)によって阿弥陀仏の国に生まれることを願うよう求めている願です。この願が特に「本願」と呼ばれるゆえんです。


* 第十九願 (至心発願の願) より:
* 悟りを求める心(菩提心)を起こし
* 様々な善行功徳を修め(修諸功徳)
* 心から阿弥陀仏の国(極楽浄土)に生まれたいと願う(至心発願、欲生我国)こと。
* 【補足】 この第十九願もまた、阿弥陀仏の国に生まれることを願うよう求めている願です。


* 第二十願 (至心回向の願) より:
* 阿弥陀仏の名号を聞き(聞我名号)
* 阿弥陀仏の国(極楽浄土)に心を向け(係念我国)
* 様々な善根(徳本)を植え(植諸徳本)
* その功徳を極楽往生のために振り向け(至心回向)
* 阿弥陀仏の国(極楽浄土)に生まれたいと願う(欲生我国)こと。
* 【補足】 この第二十願も、阿弥陀仏の国への往生を願うことの重要性を示しています。


* 第三十五願 (女人往生の願) より:
* (女性が)阿弥陀仏の名号を聞き(聞我名字)
* 喜び信じ(歓喜信楽
* 悟りを求める心(菩提心)を起こし
* 女性である身を厭う(厭悪女身)こと。


* 第三十七願 (作礼致敬の願) より:
* (天人や人々が)阿弥陀仏の名号を聞き(聞我名字)
* 五体投地して礼拝し(五体投地、稽首作礼)
* 喜び信じ(歓喜信楽
* 菩薩の行を修める(修菩薩行)こと。


* 第四十四願 (聞名具徳の願) より:
* (他の仏国土の菩薩たちが)阿弥陀仏の名号を聞き(聞我名字)
* 喜び(歓喜踊躍)
* 菩薩の行を修め(修菩薩行)
* 善根功徳を身につける(具足徳本)こと。


これらの願は、阿弥陀仏衆生に対して、信じる心、往生を願う心、善行の実践、そして特に名号を聞くことなどを期待し、それによって自身の誓願を成就させ、衆生を漏れなく救済しようとする、広大な慈悲の表れと解釈できます。
名号を聞くことに関する記載は、これらの願以外にも多く見られます。


今日の一句
阿弥陀仏名号となり
衆生と八苦の世界共に生きゆく