阿弥陀如来(あみだにょらい)の四十八願には、阿弥陀仏の「名号(みょうごう)」(南無阿弥陀仏)について誓われている願が14個あります。その中でも、特に諸仏(しょぶつ)が阿弥陀仏の名号を称(たた)えることを誓ったのが、第十七願「諸仏称名(しょぶつしょうみょう)の願」です。今回は、この第十七願の内容と、それが衆生(しゅじょう)の往生(おうじょう)を誓う第十八願の前に置かれている重要な意味について、ご紹介します。
第十七願 諸仏称名の願(しょぶつしょうみょう の がん)
* 原文:
設(せ)我(つが)得仏(とくぶつ)・十方(じっぽう)世界(せかい)・無量(むりょう)諸仏(しょぶつ)・不悉(ふしつ)咨嗟(ししゃ)・称我名(しょうがみょう)者(じゃ)・不取(ふしゅ)正覚(しょうがく)
(書き下し文: たとひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、十方(じっぽう)世界(せかい)の無量(むりょう)の諸仏(しょぶつ)、ことごとく咨嗟(ししゃ)して、わが名(な)を称(しょう)せずは、正覚(しょうがく)を取(と)らじ。)
* 現代語訳:
もし私が仏(阿弥陀如来)になったならば、あらゆる世界の数限りない全ての仏たちが、私の名をほめたたえないようなら、私は決して仏にはなりません。
* 意味:
この願は、阿弥陀如来が仏となった暁(あかつき)には、宇宙の全ての仏が阿弥陀如来の名号(南無阿弥陀仏)の偉大な功徳(くどく)と、その名号による救済の働きを心から讃(たた)え、衆生に勧(すす)めるであろう、と誓われたものです。
第十七願の意義 ~ 第十八願の前に置かれている理由
第十七願が、衆生が名号を称えることによる往生を誓う第十八願の前に置かれていることには、非常に重要な意味があります。それは、以下の点に集約されます。
* 名号の功徳の普遍的な証明・保証(諸仏の証誠 しょぶつのしょうじょう):
阿弥陀如来の名号には、衆生を救済する絶大な功徳が込められています。しかし、その力が真実であると、誰が保証してくれるのでしょうか? 第十七願は、その保証を「十方世界の無量無数の諸仏」が行う、と誓っています。これは、阿弥陀如来の名号による救済の働きが、単なる一つの仏の教えや約束ではなく、宇宙のあらゆる仏によって認められ、称賛される、揺るぎない真実であることを示しています。第十八願で衆生がその名号に依(よ)り頼(たの)む(信じ、称える)ためには、その名号が絶対的な救済力を持つことへの信頼が不可欠です。第十七願は、その信頼の根拠として、最高の権威である諸仏による証明を挙げているのです。
* 衆生への勧奨(かんしょう)(勧め):
諸仏が阿弥陀如来の名号を称えるということは、すなわち、あらゆる世界の衆生に対して「阿弥陀仏の名号には、このような素晴らしい功徳がある。これに依り頼めば必ず救われるのだ」と強く勧め、導くことに他なりません。第十七願は、阿弥陀仏がご自身の救済の働きを広く知らしめ、衆生を名号へと向かわせるために、諸仏の力を借りることを誓った願であるとも言えます。諸仏の勧めがあるからこそ、迷いの中にある衆生も安心して、第十八願に示された名号を称える行(ぎょう)に入ることができるのです。
* 第十八願の成立の基盤:
第十七願によって、阿弥陀如来の名号が諸仏によって証誠(しょうじょう)され、衆生に勧められる**「普遍的に承認された、絶対的な救済力を持つ名号」**であることが確立されるのです。この確立された名号を、次に衆生が信じ、称えることによる往生を誓うのが第十八願です。つまり、第十七願は、第十八願で衆生が依り頼む対象である「名号」の信頼性と権威を確立するという、極めて重要な前提の役割を果たしているのです。
(参考)四十八願と「名号」
阿弥陀如来の四十八願の中で、「名」(名前、名字、名号)について言及されている願は、以下の14個です。
* 第十七願 諸仏称名の願: 「称我名」 (わが名を称す)
* 第十八願 至心信楽の願: 「乃至十念」(十念、すなわち名号を称えること)
* 第二十願 至心回向の願: 「聞我名號」 (わが名号を聞く)
* 第三十四願 聞名得忍の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第三十五願 女人往生の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第三六願 聞名梵行の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第三七願 作礼致敬の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第四十一願 聞名具根の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第四十二願 聞名得定の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第四十三願 聞名生貴の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第四十四願 聞名具徳の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第四十五願 聞名見仏の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第四十七願 聞名不退の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
* 第四十八願 得三法忍の願: 「聞我名字」 (わが名字を聞く)
このように、「名号」または「名字(みょうじ)」に直接関連し、それらを「聞く」「称える」ことによる利益や効果が誓われている願は14個あります。特に第十七願、第十八願、第二十願は、諸仏や衆生が阿弥陀如来の名号を聞いたり称えたりすることの重要性、そしてそれが往生や悟りへの道につながることを示す、名号を中心とした願として重要視されます。他の多くの願は、名号を聞くことによって得られる様々な能力や境地について誓っています。
今日の一句
さまざまの 仏(ほとけ)がほめて 名(な)をとなえ
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ) 人(ひと)もとなえよ