わが秀歌鑑賞という本を見ていたら、与謝野晶子に似た雰囲気を持つ中城ふみ子の短歌に衝撃を受けました。歌集『乳房喪失』から10首、現代語訳と短い説明を付けてご紹介します。
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乳房をもぎとられしときわがなかに生き生きと湧く生のいかりよ
(乳房をもぎとられたとき、私の中で生き生きと湧き上がる生の怒りよ)
乳がんによる乳房切除の経験という体験を通して、生への激しい怒りが湧き上がる様子を詠んでいます。若くして患ってる病気に理不尽な運命を嘆く一方で、生きたい気持ちを強く表現してます。
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冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己の無惨を見むか
(冬の荒波で皺が寄っている海よ、もう少しだけ私が生きて、自分の無惨な姿を(海に)見届けさせてほしい)
荒れ狂う冬の海を、自身の病に蝕まれた体に重ね合わせ、死期が近いことを予感しながらも、最後まで生き抜こうとする強い意志を示しています。
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癌細胞わが身に棲みつき生殖すああ憎しみよこの肉体よ
(癌細胞が私の体に棲みついて生き物のように増え広がる。ああ、憎しみよ、この肉体よ)
癌細胞への憎しみとともに、癌を宿した肉体そのものへの複雑な感情が表現されています。「なぜ、この体に癌が生まれたのか」という、やり場のない怒りと悲しみが伝わってきます
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苦しけれこの世は地獄と人言ふわが癌(か)は仏ぞとわれは思ふも
(苦しいこの世は地獄だと人は言うけれど、私の癌は仏なのだと私は思う)
癌という苦しみの中で、それを仏のように受け入れようとする作者の心情が描かれています。
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愚かしき乳房など持たず眠りをり雪は薄荷の匂ひを立てて
(愚かな乳房など持たずに眠っている。雪は薄荷(はっか)の匂いを漂わせて)
手術で2つの乳房を失い、女性としての象徴を失った悲しみと、女性性に対する嫌悪感も描かれています。雪の薄荷の香りが、清らかさや新たな始まりの象徴として感じられます。
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われに似しひとりの女不倫にて乳削ぎの刑に遭わざりしや古代に
(私に似た一人の女が、不倫によって乳房を削ぎ落とされる刑に遭ったのではないか、古代に)
古代の刑罰と自身の体験を重ね合わせ、乳房を失ったことへの悲しみと、女性としての運命を嘆く気持ちが表現されています。
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病室の窓より見れば夕焼けの赤さよ今日のいのちも燃え尽きぬとす
(病室の窓から見ると、夕焼けが赤い。今日の私の命も燃え尽きないでいる)
夕焼けの力強さ、そして今日を生き抜いたという安堵感が伝わってきます。
病室の窓より見れば夕焼けの赤さよ今日のいのちも燃え尽きぬとす -
癌(か)と闘ひわれは生きるぞ乳房なくとも花は咲き誇るごとく
(癌と闘って私は生きる。乳房がなくても、花が咲き誇るように)
癌に負けずに生き抜くという決意と、花のように美しく生きようとする意志や乳房がなくても、女性としての輝きを失わないという意味が込められています。
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人の世の苦しみを知りてわが歌は深き淵より湧きいづるごとく
(人の世の苦しみを知ったからこそ、私の歌は深い淵から湧き出るように生まれる)
自身の体験を通して、人の世の苦しみを知り、それを歌に昇華しようとしています。深い淵から湧き出る歌は、多くの人々の心を打つでしょう。
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ああ乳房よ永遠なれわが歌に生きよ失ひしもの今こそ輝け
(ああ、乳房よ、永遠であれ。私の歌の中で生きよ。失ったものよ、今こそ輝け)
失った乳房への愛惜の念。そして、それを歌という形で永遠に残そうとする決意が表現されています。
中城ふみ子(1922年11月25日~1954年8月3日)は、北海道帯広市出身の歌人です。本名は野江富美子で、妹の野江敦子も歌人として知られています。
彼女は結婚後、子供ももうけて家庭生活を送りながらも短歌に魅了され、歌人としての道を歩み始めました。しかし、夫との不和と離婚、その後の乳がんの発病など、彼女の人生は波乱に満ちたものでした。病気が進行する中で執筆を続け、1954年に第一歌集『乳房喪失』を刊行。この歌集を川端康成が高く評価しました。この作品は、死を目前にした女性の心情を赤裸々に詠んだ歌集として、当時の短歌界に衝撃を与えました。
彼女の短歌は、それまでの伝統的な作風とは異なり、女性の情念や身体の痛み、死への恐怖を率直に表現したものが多く、従来の歌壇に新風を吹き込みました。「乳房喪失」という象徴的なテーマは、多くの読者に深い共感を呼び、女性の生と死を描いた作品として高く評価されました。
彼女は第一歌集を刊行した年、31歳という若さで亡くなりましたが、その作品は今なお読み継がれ、戦後短歌の革新に大きな足跡を残しています。
今日の一句
雪の中松の梢にカラス鳴く迷える我に大行示す