中城ふみ子の短歌には、恋に溺れる激しい情熱がつづられています。禁断の恋や情熱に身を任せる様子が強く表現されています。彼女の人生の苦悩や喜びが凝縮されたものであり、読む人の心を強く打つ魅力があります。
1.音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
(大きな音を立てて夜空に花火が打ち上がる。その瞬間、私は隅々まで奪われている)
この歌は、花火が夜空に広がる様子を、恋の陶酔と重ね合わせたものです。「隈なく奪はれてゐる」という表現から、相手に身も心も委ねている情景が浮かびます。これは単なる喪失感ではなく、むしろ情熱的な恋の中で、自らを捧げることへの恍惚感を描いていると解釈できます。
2.許されぬ恋と知りつつ身も心も捧げしわれを今いかにせむ
(許されない恋だと知りながらも、身も心も捧げてしまった私は、今どうしたらいいのだろうか)
禁断の恋に身を委ねた女性の苦悩が表れています。「身も心も捧げし」という表現には、恋にすべてをかけた覚悟が感じられますが、その結果としてどうすることもできない状況にあることが伝わります。
3.逢ふことのかなわぬ日々の長さをよああわが胸に募るこの思い
(会うことが叶わない日々の長さよ。ああ、私の胸に募るこの想い)
愛する人に会えない時間の長さが、胸の内で募る切ない思いを強調しています。時間が経つほどに、恋の感情が強くなっていく様子が伝わります。
4.人目を忍びて会ふときのときめきよああ恋するわれを責めないで
(人目を忍んで会う時のときめき。ああ、恋する私を責めないで)
許されぬ恋であるがゆえに、人目を忍んで会う。そのスリルとときめきを感じつつも、罪の意識を持っていることが伺えます。「恋するわれを責めないで」という言葉には、自己弁護や恋に突き進む気持ちの揺らぎが込められています。
5.わが恋は燃え上がる火のごとしああすべてを焼き尽くすまで
(私の恋は、燃え上がる火のようだ。ああ、すべてを焼き尽くすまで)
激しく燃え上がる恋の情熱を「火」に例えています。抑えきれない感情が、冷静な判断を失わせるほどの激しさであることが伝わります。「すべてを焼き尽くすまで」という表現には、恋にすべてを捧げ、たとえ破滅しても構わないという覚悟すら感じられます。
6.この愛は罪なりと知るもなお深く溺れてゆくわれを許せよ
(この愛は罪だと知っていても、なお深く溺れていく私を許してほしい)
理性では「罪」と理解しながらも、恋に抗えず溺れていく自分を描いています。「許せよ」という言葉には、自分自身への言い訳だけでなく、恋人や社会に対する許しを乞う気持ちも込められています。
今日の一句