女性が自らの「好き」という気持ちや、ましてや「官能」を公に語ることなど、到底考えられなかった明治時代。
そんな時代に、燃えるような恋心、ほとばしる生命力、そして女性であることの誇りを、鮮烈な言葉で詠いあげ、日本中に衝撃を与えた一人の女性がいました。 その人の名は、与謝野晶子。
この記事では、彼女が22歳の若さで世に放った、スキャンダラスで美しい処女歌集『みだれ髪』から、今なお私たちの心を揺さぶる名歌を、その生涯と共にわかりやすくご紹介します。
歌人・与謝野晶子とはどんな人物か?
与謝野晶子(1878年~1942年)は、大阪の和菓子屋の娘として生まれました。 今回紹介する歌集『みだれ髪』(1901年)で、女性の情熱や官能を大胆に表現し、ロマン派のスター歌人として不動の地位を築きます。
師であり、のちに夫となった与謝野鉄幹との間に12人の子供をもうけながら、歌人としてだけでなく、評論家、思想家としても活躍。日露戦争の際には、弟の身を案じ**「君死にたまふことなかれ」**という反戦詩を発表し、社会に大きな議論を巻き起こしました。
女性の自立や教育の重要性を訴え、『源氏物語』の現代語訳を完成させるなど、その活動は多岐にわたります。当時の常識からすれば、まさに革命的なスーパーウーマンでした。
『みだれ髪』の名歌を味わう
それでは、晶子の魂の叫びともいえる『みだれ髪』の中から、特に心に残る4首を見ていきましょう。
1.若さへの賛歌:「その子二十」
その子二十(はたち) 櫛にながるる黒髪の おごりの春の 美しきかな
-
現代語訳 あの子は二十歳。櫛ですくと滑らかに流れ落ちる、豊かな黒髪。まるで春たけなわの季節のように、若さと自信に満ち溢れたその姿は、なんと美しいことだろう。
-
解説 この歌の核は**「おごりの春」**という言葉です。「おごり」と聞くと、現代ではネガティブな印象を持つかもしれません。しかし、ここでの「おごり」は、若さゆえの輝くような生命力、そして自分自身の美しさへの絶対的な自信を意味します。若さの特権である、少し無防備で、傲慢でさえあるその輝きを、晶子は真正面から「美しい」と断言しました。
2.京の恋の夜:「清水へ祇園をよぎる」
清水(きよみず)へ 祇園をよぎる 桜月夜(さくらづきよ) こよひ逢ふ人 みな美しき
-
現代語訳 清水寺へ向かうため、祇園の街を通り過ぎていく、桜が満開の月の美しい夜。今夜出会う人は、誰もが皆、美しく見えることよ。
-
解説 春の京都、桜咲く月夜の祇園。その華やかな情景と、高揚した心が目に浮かぶようです。美しい風景に心が浮き立ち、恋愛の予感に胸をときめかせているからでしょうか、「出会う人誰もが美しく見える」という一節に、作者の幸福感が溢れています。
3.情熱の訴え:「やは肌のあつき血潮に」
やは肌の あつき血潮に ふれも見で さびしからずや 道を説く君
-
現代語訳 私のこの柔らかい肌の下を流れる、熱い血潮に触れようともせず、ただひたすら小難しい理想ばかりを語っているあなた。そんな生き方で、寂しくはないのですか?
-
解説 これは『みだれ髪』の中でも最も有名で、最もスキャンダラスな一首でしょう。「やは肌」「あつき血潮」という言葉で、自らの若く情熱的な肉体と恋心を大胆に歌い上げ、理屈ばかりで行動しない男性(夫となる鉄幹へのアピールと言われています)を、挑発的に問い詰めます。観念論ではなく、リアルな恋の情熱を求める晶子の魂の叫びです。
4.恋のときめき:「何となく君に待たるる」
何となく 君に待たるる ここちして 出(い)でし花野の 夕月夜(ゆうづくよ)かな
-
現代語訳 なんとなく、あなたが待っているような気がして、花咲く野に出てきてみた。美しい夕月夜だこと。
-
解説** 秋の花が咲く野原に、夕方の月がかかる美しい情景。好きな人に「待たれている気がして」、そっと家を出てきてしまった…。そんな、恋する女性の淡い期待と、少しばかりの不安が入り混じった繊細な心情が、見事に表現されています。
まとめ:今なお新しい、与謝野晶子の言葉
与謝野晶子の歌は、120年以上も前に作られたにもかかわらず、その情熱や感性は、驚くほど現代的で、私たちの心に直接響いてきます。
それは、彼女が社会の「常識」や「建前」に流されることなく、自分自身の心と身体の声に、どこまでも正直だったからでしょう。 恋の喜び、若さの輝き、そして切なさ。彼女が遺してくれた言葉は、時代を超えて、私たちに「もっと素直に、情熱的に生きていいんだ」と語りかけてくれるようです。
私も一句
厳かに空を染めゆく初日かな ただ祈るなり命よ続けよ