月影

日々の雑感

常なき世に 春の光を

明けましておめでとうございます。

新春らしい和歌を紹介します。


あまのはら 富士の 煙の 春のいろの 霞(かすみ)になびく あけぼののそら

 

慈円新古今和歌集

 

富士山とあけぼの

広大な天の原(空)に、富士山から立ち上る煙が、春の柔らかな色を帯びた霞のようになびいている。明け方の空に、その美しさが溶け込んでいる

解説

この時代、富士山が煙を出していたそうです。

慈円(じえん)(1155-1225)は、関白藤原忠道の子で天台座主を何度も務めました。親鸞の得度を行ってます。法然を保護するような動きをしました。また、西行の知人で、真言宗の僧であった西行に、真言を教えてくれと頼んだところ、和歌を勉強してから教えようと言われたという逸話が残っています。西行は次のような最後の歌を慈円の前で歌うくらい仲が良かったようです。次は比叡山から琵琶湖を見て歌ったものと言われています。

 

にほ照るや 凪ぎたる朝に 見わたせば 漕ぎゆく跡の 浪だにもなし

穏やかに光が差す凪(なぎ、風が止んで静かな状態)の朝、遠くを見渡してみると、船が漕(こ)ぎ進んだ後さえも波(浪)が立たず、静かに消え去っている。

解説

この歌は、風も波もない穏やかな朝の静寂を描き、船が漕ぎ進んだ跡さえ波を立てずに消える情景に仏教的な無常観が込められています。慈円は、この一瞬の静寂を通して、すべてが移ろいゆく世の中の儚さを象徴的に表現しました。平安時代後期の平家一族の滅亡と鎌倉時代の到来を見てきた西行は、無常感が強く感じていたのでしょう。人事は自然の中では湖の波をも起こせないと言っているようです。

 

慈円も同様な歌を歌ってます。

世の中は 何か常なる あすか川 昨日の淵ぞ 今日は瀬となる

 

世の中には何も常に変わらないものはない。あすか川の淵(ふち)が昨日は深かったのに、今日は浅くなってしまったように。

解説

この歌は無常観を詠んだもので、仏教的な価値観と、時代の移り変わりに対する慈円の深い洞察が見られます。あすか川は奈良県飛鳥川のことで、明日香村を流れ、石舞台古墳飛鳥寺などの歴史的建造物の近くを流れています。

 

世の中や自身にも何もないのが良いのですが、今年は平和に健康に過ごしたいものですね。今日の一句は。

忙しなく家事する君をただ見つつ 歌を詠む時焦り募りぬ