良寛さんは晩年、浄土真宗の檀家にお世話になりました。そのお宅の方がたのために阿弥陀仏に関する歌を作ってあげました。また、自身も阿弥陀仏に深く帰依し、阿弥陀仏にすべてを委ねる境地に至っていたようです。以下の4句は共感しやすいので訳が必要ないでしょう。
極楽にわが父母(ちちはは)はおはすらむ 今日膝もとへ行くと思へば
われながらうれしくもあるか 弥陀仏のいますみ国に行くと思へば
待たれにし身にしありせば いまよりはかにもかくにも弥陀のまにまに
訳:
阿弥陀仏に待たれてる身の上になったからには、今からはもう、どうなろうとも、すべて阿弥陀如来にお任せします。
解説:
* 「待たれにし身」は、阿弥陀仏に浄土へ来てほしいと願われ待ってもらっている自分、という意味です。
* 「かにもかくにも」は、どうあろうと、どんなことになっても、という意味です。
* 「弥陀のまにまに」は、阿弥陀仏の御心にすべてお任せする、という意味です。
この歌は、静かで穏やかな死への覚悟が感じられます。良寛和尚らしい、飾り気のない言葉で、深い信仰心を表現した歌として、多くの人々に愛されています
かにかくにものな思いそ 弥陀仏の本の誓いのあるにまかせて
訳:
「何もかもあれこれと思い悩むことはない。すべては阿弥陀仏の根本の誓願にお任せすればよいのだから。」
解説:
この歌には、良寛の深い信仰心と、阿弥陀仏への絶対的な信頼が込められています。
1. 「かにかくに」
• 「あれこれと」「何かと」という意味で、日々の様々な悩みや心配事を指しています。
2. 「ものな思いそ」
• 「あれこれと悩むな」「思い煩うな」と、心の平安を保つように諭しています。仏教の教えでは、煩悩にとらわれることで苦しみが生じるとされており、それを手放すことの大切さを説いています。な〜そは係り結びで、禁止の意味。
3. 「弥陀仏の本の誓い」
• 阿弥陀仏がすべての衆生を救うことを誓った「本願」(四十八願)を指します。特に第十八願(念仏往生の誓い)は、念仏を唱えればどんな人でも極楽浄土に往生させようと誓っています。良寛はこの誓いに絶対的な安心を寄せています。
4. 「あるにまかせて」
• 「阿弥陀仏の誓いにすべてを委ねてしまえばよい」という意味で、自己の力ではなく仏の慈悲に頼るべきだという念仏の教え(他力本願)の精神が表れています。
愚かなる身こそなかなかうれしけれ 弥陀の誓いに会ふと思えば
訳:
「愚かで未熟な自分であるからこそ、かえってありがたく嬉しいものだ。なぜなら、阿弥陀如来の誓願(救い)に出会うことができたのだから。」
解説:
この歌には、良寛の深い仏教的な悟りと謙虚な心が表れています。
1. 「愚かなる身」
• 自分の至らなさや愚かさを素直に認めることが、仏の慈悲にすがる心の出発点であることを示しています。仏教において、「愚かさ」とは煩悩に囚われた人間の本性を指します。
2. 「なかなかうれしけれ」
• 一般的には自らの愚かさを嘆くものですが、良寛はそれをむしろ喜んでいます。これは、愚かさを自覚することで、阿弥陀仏の救いに気づくことができたという感謝の気持ちが込められています。また、阿弥陀仏の救済のお目当てが煩悩具足の愚かな人だからです。次のような親鸞の和讃があります。
煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば
すなはち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ
(自分が煩悩に満ちた存在であることを深く理解し、阿弥陀仏の本願の力にすがれば、迷いや苦しみに満ちたこの世の身体を離れ、仏の世界の永遠の安らぎを得ることができる)
今日の一句
救済は生きてる時も欲しいもの 信心えれば他力はたらく