貞心尼との交流は、良寛にとって大きな心の安らぎとなっていたことでしょう。貞心尼は良寛の教えを熱心に学び、時には彼の草庵を訪れては看病や身の回りの世話をするようになりました。
そして1831年、良寛が74歳でその生涯を閉じる際、貞心尼は最期を看取りました。深い悲しみの中、貞心尼は良寛の教えや人柄を後世に伝えることを決意し、後に彼の生涯を綴った**『蓮の露(はちすのつゆ)』**を著します。この書物には、二人の交流の記録や、良寛が遺した言葉、詠み交わした和歌が多く収められています。
今回は、その心温まる相聞歌の一部をご紹介します。
【1】旅立ちの誘い
いづこへも たちてを行かむ 明日よりは からすてふ名を 人の付くれば (良寛) (どこへでも旅立って行こう。明日からは、私にカラスという名がつくのだから。)
山がらす 里に行かば 子がらすも 誘ひてゆけよ 羽弱くとも (貞心尼) (山のカラスが里へ行くのなら、子のカラスである私も誘ってください。まだ羽が弱く未熟であっても。)
解説: 良寛の歌は、世間のしがらみから離れた「カラス」という存在に自身をなぞらえ、心のおもむくままに自由でありたいという境地を詠んでいます。これに対し、貞心尼は自らを「子がらす」と称し、未熟な自分ですが、どうかあなたのお供をさせてくださいと、師への深い敬愛と親しみを込めて応じました。
【2】世間の目とあるがままの心
誘ひて行かば 行かめど 人の見て 怪しめ見らば いかにしてまし (良寛) (誘って一緒に行くのは良いが、それを人が見て怪しんだら、どうしたら良いものか。)
鳶は鳶 雀は雀 鷺は鷺 烏は烏 なにか怪しき (貞心尼) (鳶は鳶、雀は雀、鷺は鷺、烏は烏。それぞれが自然のままでいるだけ。何がおかしいことがあるでしょうか。)
解説: 老僧と若い尼僧が連れ立つことへの世間の目を気にする、良寛の人間的な葛藤が垣間見える一首です。それに対し、貞心尼は「鳶は鳶、雀は雀」と、あるがままの姿こそ自然であり、何も恥じることはないと、禅的な思想をもって師の迷いを晴れやかに解き放ちます。
【3】また会う日を
いざさらば 我は帰らむ 君はここに いやすくい寝よ はや明日にせむ (良寛) (さあ、それでは私は帰るとしよう。あなたはここでゆっくりおやすみ。続きはまた明日にしよう。)
歌や詠まむ 手毬やつかむ 野にや出む 君がまにまに なして遊ばむ (貞心尼) (歌を詠みましょうか、手毬をつきましょうか、それとも野原に出かけましょうか。あなたの心のままに、ご一緒して遊びましょう。)
解説: 夜が更け、相手を気遣い別れを告げる良寛の歌には、慈しみの心が表れています。貞心尼は、明日また会える喜びを素直に表現し、歌や手毬など、子供のように無邪気な遊びを提案します。師弟でありながら、まるで幼なじみのような二人の親密な関係が伝わってきます。
【4】定まらない心
歌も詠まむ 手毬もつかむ 野にも出む 心一つを 定めかねつも (良寛) (歌も詠みたいし、手毬もしたいし、野原にも出かけたい。あれもこれもしたくて、心が一つに定まらないことだ。)
解説: 貞心尼の「何をして遊びましょうか」という問いに対する良寛の返歌です。仏道に生きた高僧でありながら、楽しみを前にして心が躍り、一つに定められないでいる。そんな人間味あふれる素直な心情が、微笑ましく感じられます。
【5】過ぎゆく時と果たせぬ約束
秋萩の 花の盛りは 過ぎにけり 契りしことも まだとげなくに (良寛) (秋萩の花の盛りは過ぎてしまった。あなたと交わした約束も、まだ果たせていないというのに。)
そのままに なほ耐へしのべ いまさらに しばしの夢を いとふなよ君 (貞心尼) (どうかそのまま、辛抱強く耐え忍んでください。今さら、この束の間の夢のような約束を厭うようなことはなさらないでください、あなた。)
解説: 自身の老いと人生の残り時間を、盛りを過ぎた秋萩に重ねて詠む良寛。その寂寥感に対し、貞心尼は「しばしの夢」という言葉で、この世の儚さを受け入れつつも、だからこそ最後まで希望を捨てないでほしいと、優しく、そして力強く励まします。
【6】待ちわびた再会
あづさ弓 春になりなば 草の庵を とく出てきませ 逢ひたきものを (良寛) (春になったら、草庵から早く出てきてください。あなたに会いたいのです。)
いついつと 待ちにし人は 来たりけり 今は相見て 何か思はむ (良寛) (いつ来てくれるかと待ちわびていた人が、ついに来てくれた。こうして会えた今、もう何も思い悩むことはない。)
解説: 最初の歌は、貞心尼の来訪を心待ちにする良寛の率直な気持ちが詠まれています。「あづさ弓」は春の枕詞で、再会への期待が込められています。そして次の歌は、実際に訪れた貞心尼を前にした喜びを詠んだものです。待ち続けた人に会えた安らぎと喜びが、すべての不安を消し去ったという、満ち足りた心境が伝わります。
【7】別れと無常観
生き死にの 境離れて 住む身にも さらぬ別れの あるぞ悲しき (貞心尼) (生と死の境界を超越して生きる出家の身ではありますが、それでも避けられないこの別れは、やはり悲しいものです。)
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ (良寛) (葉の裏を見せ、また表を見せながら、ひらひらと散っていく紅葉よ。)
解説: 良寛の死に際して詠まれた歌です。貞心尼は、仏道者として覚悟はしていても、こらえきれない人間としての悲しみを率直に詠みます。それに対し、良寛の辞世の句とされる「散るもみぢ」は、人生の真実を見事に言い表しています。人の一生も、良い面(おもて)と悪い面(うら)の両方を見せながら、やがて自然に散っていく紅葉のようなものだ、と。すべてをあるがままに受け入れた、静かで澄み切った境地が感じられます。
参考文献
『蓮の露 良寛の生涯と芸術 復刻版』 ヤコブ・フィッシャー (著)、近藤敬四郎 (翻訳)、若林節子 (翻訳)
今日の一句
冬嵐 心が乱れ 木々さわぐ 仏の誓い 静かに満ちる