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日々の雑感

親鸞聖人の六字釈

親鸞聖人の六字釈(ろくじしゃく)は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん, 1173-1263)が、「南無阿弥陀仏」の六字に込められた深い意味を解釈したものです。親鸞聖人は、中国の善導大師の六字釈を受け継ぎつつ、それをさらに深く掘り下げて、ご自身の教学体系の中に位置づけられました。親鸞聖人の六字釈は、主著である『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の「行巻(ぎょうかん)」や『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』などで述べられています。


親鸞聖人も善導大師と同様に「南無阿弥陀仏」の六字を解釈しますが、その 重点は阿弥陀仏の本願力(他力)に徹底して置かれています。親鸞聖人は、この六字全体を、阿弥陀仏衆生を救済するために完成された「法体(ほったい)」、すなわち名号そのものが具えている徳であると解釈しました。


具体的には、六字に以下の三つの意味を読み取られます。
* 帰命(きみょう): これは、釈迦・弥陀の二尊の勅命(お呼びかけ)にしたがうこと、すなわち阿弥陀仏の「われにまかせよ、必ず救う」という呼び声を聞き、それに応じることを意味します。善導大師の解釈も含まれますが、親鸞聖人はこれを如来から衆生への働きかけとしてより強調されます。


* 発願回向(ほつがんえこう): これは、阿弥陀仏衆生を浄土に生まれさせようと願(発願)し、そのために積まれた功徳を衆生に施し与える(回向)という、阿弥陀仏大慈悲心の働きを指します。衆生の側が自らの善行を回し向ける(自力)という意味合いはなく、阿弥陀仏の方から衆生へと回向される側面(他力) が強調されます。


* 即是其行(そくぜごぎょう): これは、「すなわち、これその行なり」と読み、阿弥陀仏法蔵菩薩として立てられた本願(第十八願)であり、その本願によって完成された、衆生が浄土に往生するための実践そのものであるとされます。名号を称えること(称名)は、この阿弥陀仏の行が衆生の上に現れたものであると理解されます。


このように、親鸞聖人の六字釈は、善導大師の解釈を基礎としながらも、その三義(帰命・発願回向・即是其行)を徹底して阿弥陀仏の側からの働き、すなわち他力回向の妙法として捉え直している点に特徴があります。「南無阿弥陀仏」という名号は、衆生が自らの力で何かを為すのではなく、阿弥陀仏衆生を救うために全てを完成し、差し向けられている救済の働きそのものであると深く受け止められているのが、親鸞聖人の六字釈であると言えます。そして、この名号を聞き、そのまま受け入れる信心が、浄土往生の正因であると明らかにされました。

 

今日の一句

阿弥陀仏言葉となりて人救う他力の光心に届け