蓮如上人の六字釈(ろくじしゃく)は、浄土真宗中興の祖とされる蓮如上人(れんにょしょうにん, 1415-1499)が、「南無阿弥陀仏」の六字の名号の意義を、より分かりやすく多くの人々に伝えるために示されたものです。蓮如上人は、親鸞聖人の教えを深く踏まえつつ、特に善導大師の六字釈をしばしば引用し、その真意を明らかにされました。
蓮如上人の六字釈は、その主著である『御文(おふみ)』の中に繰り返し述べられています。
蓮如上人は、善導大師の『観経疏』玄義分にある「南無というは帰命なり、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏というはすなわちこれその行なり。この義をもってのゆえにかならず往生を得」という言葉を非常に重視し、これを引用することで六字名号の功徳と、それを信じることの重要性を説かれました。
蓮如上人の六字釈の特徴は、以下の点にあります。
* 名号に具わる他力回向の強調: 親鸞聖人の教えを受け継ぎ、蓮如上人もまた、「南無阿弥陀仏」の六字そのものに、阿弥陀仏が衆生を救うために完成された全て(本願と行)が具わっており、それが衆生に回し向けられている(他力回向)ことを強調しました。名号を聞き受け入れる信心は、この阿弥陀仏からの呼びかけに応じる心であるとされました。
* 信心と名号の一体不二: 蓮如上人は、「信心をとるというも、この六字のうちにこもれりとしるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり」(御文帖外十三通)と述べられ、信心が「南無阿弥陀仏」の名号とは切り離して存在するものではないことを明確にされました。名号を疑いなく受け止めること、それ自体が信心であるとされました。
* 機法一体(きほういったい)の教え: 蓮如上人は、「南無の二字は、衆生の阿弥陀仏をたのむ機なり。次に阿弥陀仏という四の字のいはれは、弥陀如来の衆生を助けたまえる法なり。このゆえに、機法一体の南無阿弥陀仏というなり」(御文二帖一通)と示され、衆生が阿弥陀仏に帰依すること(機)と、阿弥陀仏が衆生を救う法(法)が一体となったものが「南無阿弥陀仏」であると説かれました。これは、衆生の信心もまた阿弥陀仏の回向によるものであるという親鸞聖人の思想を、より分かりやすく表現したものです。
* 誤解の匡正(きょうせい) : 当時、念仏を単なる称えごとと捉えたり、信心を自らの善行や努力と混同したりする誤った理解があったため、蓮如上人は六字釈を通して、名号に込められた他力の信心の真意を明らかにし、これらの誤りを正されました。
このように、蓮如上人の六字釈は、善導・親鸞によって明らかにされた名号と信心の教えを、時代の衆生に合わせてかみ砕き、正確かつ力強く伝えたものであり、浄土真宗が広く民衆に浸透する上で非常に重要な役割を果たしました。
今日の一句
救う法頼めぬこころ打ち破り 機法一体南無阿弥陀仏