岡本かの子は、晩年に仏教に傾倒し文章を残しています。彼女の仏教人生読本という本に引用されている和歌を紹介します。歌人の目から見た秀作ですので、和歌の勉強に良いと思います。二回目です。
和歌の現代語訳と解釈
5. 古歌
* ほろ苦き中に味あり蕗(ふき)の薹(とう)
* 現代語訳: ほろ苦さの中にこそ、味わいがあるのだなあ、蕗の薹よ。
* 解釈: 春の訪れを告げる蕗の薹の、独特のほろ苦さの中に潜む滋味深さを詠んだ歌です。苦みの中にこそ、大地の力強さや生命力が凝縮されていると感じたのでしょう。人生における苦難や試練も、乗り越えた先には深い味わいや喜びがあるという、普遍的な真理を示唆しているとも解釈できます。
6. 岡本かの子
* 梅の樹に梅の花さくことはりを まことに知るはたはやすからず
* 現代語訳: 梅の木に梅の花が咲くという当たり前の道理を、本当に理解することは、案外容易ではない。
* 解釈: 普段何気なく見過ごしている自然の摂理、当たり前のことを見逃しているという反省を含んだ歌です。梅の木に梅の花が咲くのは当然のことですが、それをきちんと理解するのは難しいことです。道元禅師が、 長い修行のあとに「眼横鼻直」ということを理解したということです。目は横についていて鼻は縦についています。これは本当に奥深い言葉です。本当のことは当たり前ということです。人間は煩悩がありますので、自分の当たり前のことも見えないのか受け入れないのが人間の性(さが)です。
7. 古歌
* うつし身のつひに果てなん極みまで 添ひゆくいのち正眼には見よ
* 現代語訳: この肉体がやがて滅びる最期の瞬間まで、それに寄り添い続ける命(配偶者)のあり方を、しっかりと見つめなさい。
* 解釈: うつし身は肉体のこと。肉体はいつか滅びるものですが、その奥には絶えることのない生命の根源があるという、仏教的な生死観を表した歌と考えられます。「正眼に見よ」という言葉は、物事の本質を深く見つめよという意味です。また、夫婦の在り方を語ったとも言えます。お互い死ぬまで仲良くしましょうという意味です。
8. 維摩詰
* 衆生病む、故にわれ病む。
* 現代語訳: 全ての生き物が病んでいるから、私も病むのだ。
* 解釈: 仏教経典『維摩経』に登場する在家信者・維摩詰の言葉。これは、仏陀の悟りの境地に立って語られた言葉であり、自己と他者を切り離して考えるのではなく、全ての生き物の苦しみを自分の苦しみとして捉える、深い慈悲の心を表しています。ありがたい言葉です。
今日の一句
旅空に春の景色の輝きて 共に歩めば喜び深し