月影

日々の雑感

仏教の本質にせまる和歌ー岡本かの子選

 大正と昭和の初期に活躍された岡本かの子さんは、 短歌、随筆、小説などを残しています。また、晩年に仏教に傾倒し文章を残しています。その一つである「仏教人生読本」という本に引用されている和歌を紹介します。特定の仏教にとらわれずいろんな経典を研究して書いてあります。歌人の目から見た秀作ですので、和歌の勉強に良いと思います。

 

和歌の現代語訳と解釈
1. 山中鹿之助
* 憂(う)きことのなほこの上に積(つも)れかし 限りある身の力試めさん
* 現代語訳: つらいことよ、もっとこの身の上に降り積もれ。限りあるこの身の力を試してみよう。
* 解釈: 戦国時代中国地方の尼子氏の武将である山中鹿之助は、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という言葉が有名です。主君のために苦難を厭わず、むしろそれを自身の力を試す機会と捉え、積極的に立ち向かおうとする強い意志が表れています。「憂きこと」は、戦の苦労や主君の苦難などでしゃう。悲観を極めると楽観に変わるという人生観を見ています。


2. 利休
* 寒熱の地獄を潜る茶柄杓も 心なければ苦しくもなし
* 現代語訳: 熱湯と冷水を行き来する茶柄杓(ちゃびしゃく)も、心がなければ(無心であれば)苦しくはない。
* 解釈: 千利休の歌。茶の湯で使われる茶柄杓の働きを通して、精神のあり方を説いています。熱い湯と冷たい水を何度も行き来する茶柄杓は、心がないので苦痛を感じることはありません。これは、物事の本質を見抜き、感情に左右されない無心の境地に至れば、人間も苦難も苦難として感じなくなるという、禅の思想に通じる考えを示唆しています。「心なければ」は、迷いの心なくひたすらに茶道に進む利久の心境を表しています。

 

3. 古歌
* 田の草をそのまま田への肥料(こやし)かな
* 現代語訳: 田んぼの草をそのまま田んぼの肥料にするのだなあ。
* 解釈: 自然の循環、無駄のないあり方を詠んだ歌と考えられます。田んぼに生えた雑草をわざわざ運び出すのではなく、そのまま土に還して肥料にするという、昔ながらの知恵が表現されています。仏教では、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)と言ってさまざまな人間の欲や想いこそが悟りを開く元であると言われます。田の草は、人間の煩悩を表しています。


4. 古歌
* 身を捨ててまた身を掬ふ貝杓子(かいじゃくし)
* 現代語訳: 身を捨てて(水の中に沈めて)また身を掬い(すくい)あげる貝の杓子よ。
* 解釈: 貝殻で作られた杓子の様子を詠んだ古歌です。自分を一旦捨てることで、助かることもあるという意味です。煩悩具足で、迷ってる自分というものをはっきり知り、自分捨てて(自分に頼らず)阿弥陀仏の本願力を頼むという他力信仰のコツを表した言葉です。

 

今日の一句

寒さ来て桜の花見は影潜(かげひそ)め花の命を伸ばす喜び