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日々の雑感

諸仏が証明する阿弥陀仏の誓願―和讃から見る念仏の教え

 蓮如上人御一代記聞書の中で、親鸞聖人の以下の和讃について次のように述べられています。

 

十方無量の諸仏の証誠(しょうじょう)護念のみことにて

自力の大菩提心のかなはぬほどはしりぬべし

(現代語訳)

無限に存在する十方の諸仏が、阿弥陀仏の本願他力の救いである誓願の真実を証明し、私たちを守ってくださる。その誓いを信じるならば、自力の修行によって悟りを得ようとする心が、到底及ばないものであることが知られるのである。

(解釈)

この和讃は、阿弥陀仏の本願を信じて念仏することの確かさを示しています。諸仏が証明し守護してくださる以上、自己の力で悟りを開こうとすることには限界があり、阿弥陀仏の救いに頼るべきであると説いています。

証誠(しょうじょう)護念(ごねん):
* 証誠とは、全ての仏様が阿弥陀如来の本願が真実であることを証明し、保証すること。
* 護念とは、仏様が念仏の行者を守り、心にかけてくださること。
* みこととは、諸仏の言葉と言う意味。

 

諸仏三業荘厳(しょうごん)して畢竟(ひっきょう)平等なることは

衆生虚誑(こおう)の身口意を治せんがためとのべたまふ

現代語訳:

諸仏がその身・口・意の三業を荘厳(智慧、福徳、相好を身に着けて)し、行いが清らかで、究極的(畢竟)に平等であるのは、衆生の虚偽(きょぎ)や欺瞞(ぎまん)の行い(虚誑)を(身;行動・口;言葉による行為・意;思慮分別)の点で正すためであると曇鸞大師は述べられている。

解釈:

この和讃は、諸仏がその行為(身・口・意の三業)を清らかにし、平等であることの意義を説いています。具体的には、衆生が持つ虚偽や欺瞞の行為を正し、真実の道へと導くために、諸仏はその三業を荘厳し、平等であるように働いて下さってることです。

* 身業(しんごう):身体の行為
* 口業(くごう):言葉の行為
* 意業(いごう):心の行為

 

これら二つの和讃は、『大無量寿経』に記されている阿弥陀仏法蔵菩薩であった時、仏となるために立てた四十八願のうちの第十七願「諸仏称名の願」について述べたものです。諸仏称名の願は次の様です。

たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ

(現代語訳)

もし私(法蔵菩薩)が仏となったとしても、十方世界の無数の諸仏が皆、私の名を称えなければ、私は仏としての悟り(正覚)を得ることはない。

(解釈)

阿弥陀仏の名号が諸仏によって称えられることで、その救いの確かさが示されます。無数の仏が阿弥陀仏の名前を称える(念仏する)という決意を述べたものであり、これにより、私たちが念仏を称えることの意義が強調されています。

 

さらに、諸仏をたたえる和讃を二つ紹介します。

南無阿弥陀仏をとなふれば十方無量の諸仏は

百重千重囲繞してよろこびまもりたまふなり

(現代語訳)

南無阿弥陀仏」と称えれば、十方世界に無限におられる諸仏が、幾重にも取り囲み、喜んで私たちを守ってくださる。

(解釈)

念仏を唱えることによって、無数の仏が私たちを護念し、守ってくださるという安心感を与える言葉です。念仏の功徳の大きさと、阿弥陀仏の本願の確かさを強調しています。

 

南無阿弥陀仏をとなふれば梵王・帝釈 帰敬す

諸天善神ことごとくよるひるつねにまもるなり

(現代語訳)

南無阿弥陀仏」と称えれば、梵天帝釈天もその教えを敬い、諸天や善神たちは昼も夜も常に私たちを守ってくださる。

(解釈)

念仏を称えることで、諸仏に加えて天界の神々さえも帰依し、私たちを守護するという安心感を説いています。阿弥陀仏の力が、この世のあらゆる存在に及ぶことを示し、信仰の大切さを説いています。

 

世のなかにあまのこころをすてよかし 妻うしのつのはさもあらばあれ

(現代語訳)

この濁った世に、出家して尼になりたいという心は捨てなさい。牝牛の角は曲がっているけれど、それで良いのです。

(解釈)

親鸞聖人が、人間の外見に囚われるなと歌ったものです。出家して尼になって外見を整える必要はないとのことです。普通に生活して信心を得ることが何よりも大切であるとの教えです。蓮如上人は僧侶を象徴する黒い服を着るのを避けたそうですので、この和歌を好んだのかもしれません。

 

鳥部野をおもひやるこそあはれなれ ゆかりの人のあととおもへば

(現代語訳)

鳥辺野(京都の葬送地)を思うと、なんとも悲しくなる。かつて縁のあった人々が眠る場所だと思うと、なおさらである。

(解釈)

この和讃は無常観を表しています。鳥辺野は死者を葬る地であり、そこに眠る人々を思うと、生死のはかなさが胸に迫ります。親鸞聖人が、身近な人々の死を通じて、悲しみを感じていることを歌った和歌です。人生の無常を悟り、仏道に帰依することの大切さを伝えています。

 

参考文献

蓮如上人御一大記聞書(現代語版)アマゾン

 

今日の一句

木蓮の 花咲く庭に 佇めば 仏の慈悲の 光満ちゆく

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