お釈迦様が、悟りの心境は言葉では表せないとしました。そして、弟子に代々言葉によらないお釈迦様の教えが伝わり、禅宗に発展して形になった。この考え方こそ、禅宗の根幹をなす思想そのものです。
一つひとつの段階を、詳しく見ていきましょう。
1. 悟りの心境は言葉では表せない
まず、お釈迦様は「悟りの心境は言葉では表せない」とされました。これは仏教の「言語道断(ごんごどうだん)」という言葉にも表れている、根本的な考え方の一つです。
なぜなら、言葉というものは、私たちが共有している経験や概念に基づいて成り立つ便利な道具だからです。例えば、「甘い」という言葉は、実際に何か甘いものを食べたことがある人同士でしか、本当の意味は通じません。
お釈迦様が体験された「悟り」(涅槃)は、私たちの日常的な苦悩や概念(有る/無い、好き/嫌い、生/死など)を完全に超えた、まったく異なる次元の体験でした。それを、私たちの日常言語という枠に無理やり押し込めて表現しようとすると、必ず誤解が生じたり、本質が抜け落ちたりしてしまいます。
お釈迦様は、教えを「川を渡るための筏(いかだ)」に例えました。言葉や教えは、悟りの彼岸に渡るためには必要な道具ですが、彼岸に到着した後は、その筏を背負って歩き続ける必要はないと説いたのです。言葉はあくまで「月を指さす指」であり、「月そのもの」ではない。この教えは、有名な「筏の例え」としても知られています。
2. 「言葉によらない伝達」と禅宗の誕生
ここからが、禅宗のユニークさが際立つ部分です。 悟りが言葉で伝えられないのなら、一体どうやってその体験を弟子に伝え、後世に残していけばいいのか? この大きな問いに対する一つの答えが「禅」という形になりました。
その起源を象徴するのが「拈華微笑(ねんげみしょう)」という有名な逸話です。
ある時、お釈迦様は多くの弟子たちの前で、ただ一本の花をひねって(拈じて)見せました。 弟子たちは、お釈迦様が何をしたいのか分からず静まり返っていました。 その中でただ一人、弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意味を悟り、にっこりと微笑みました。 それを見たお釈迦様は、「私には、言葉では表せない究極の真理がある。それを今、摩訶迦葉に授けた」と宣言しました。
この「花を拈じ、微笑む」という一言も交わさないやり取りこそが、「以心伝心(いしんでんしん)」、つまり心から心へと、言葉を介さずに真理が伝わった最初の瞬間だとされています。禅宗は、この摩訶迦葉を初代の祖師として、悟りの体験そのものが師から弟子へと直接受け継がれてきた、と考えているのです。
ただし、歴史学的な観点から補足すると、この「拈華微笑」の逸話は、お釈迦様の時代のインドの初期仏典には記載がありません。この物語が禅宗の文献に登場するのは中国の宋の時代になってからであり、後代の禅宗の人々が、自らの教えの正当性(お釈迦様からの直接の伝承であること)を示すために重要視するようになった、というのが学術的な通説です。
3. 禅宗のアイデンティティ:「教外別伝・不立文字」
この「拈華微笑」の精神は、後に禅宗の立場を明確に示す、四つの有名な句としてまとめられました。
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教外別伝(きょうげべつでん):経典の教えの「外」に、特別な形で伝えられたもの。
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不立文字(ふりゅうもんじ):言葉や文字を、絶対的なものとして立てない。
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直指人心(じきしにんしん):直接人の心を指し示し、
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見性成仏(けんしょうじょうぶつ):自分自身の本性(仏性)を見て、仏になる。
「弟子に代々言葉によらない教えが伝わった」という禅のあり方が、この「教外別伝・不立文字」というスローガンに集約されているのです。
ただし、一つ補足すると、「不立文字」とは「文字を一切使わない、経典を読まない」という意味ではありません。禅宗でも経典は学びます。しかし、それはあくまで「月を指す指」としてであり、文字に囚われず、その指が指し示す先にある「悟りの体験」こそが最も重要だと考えているのです。