「禅」と聞くと、静寂の中でひたすら坐る「坐禅」や、師と弟子が真理をめぐって問答を交わす「公案」を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、日本の禅宗にはもう一つ、非常にユニークな流れが存在することをご存知でしょうか。
それは、坐禅をしながら「南無阿弥陀仏」と念仏を称える「念仏禅(ねんぶつぜん)」です。私は、念仏の方はかなり勉強しましたが、禅はあまり知りませんでした。禅と念仏を両方重視するものがあるとのことで、興味を持って調べてみました。
この記事では、自力と他力が融合したこの奥深い「念仏禅」の世界について、その歴史から具体的な修行法、そして日本でその教えに触れる方法まで、詳しくご紹介します。
念仏禅の歴史 ― ハイブリッドな禅は中国で生まれた
念仏禅のルーツは、日本の鎌倉時代より少し前の、中国・宋王朝の時代に遡ります。
当時の中国仏教界は、数度の弾圧を経て、多くの宗派がその勢いを失っていました。その中で、禅宗と、民衆に広く浸透していた浄土教(念仏の教え)が互いに影響を与え合い、融合していく大きな流れが生まれます。
この流れを決定づけたのが、永明延寿(ようめいえんじゅ)という禅師でした。彼は「禅と念仏は、決して矛盾するものではない。むしろ、両方を修めることで、より確かに悟りへの道を歩むことができる」と主張しました。この思想が「禅浄双修(ぜんじょうそうしゅう)」と呼ばれ、その後の中国仏教、特に明・清の時代には主流の考え方となっていったのです。
「念仏禅」と「禅浄双修」― 似ているようで少し違う?
ここで、「禅浄双修」と「念仏禅」という二つの言葉が出てきました。これらは非常に近い概念ですが、少しニュアンスが異なります。
禅浄双修(ぜんじょうそうしゅう)
これは、「禅」と「浄土教」の両方を修めるという、より広い思想やスタンスを指します。例えば、朝は坐禅をして、夕方は念仏を唱える、といったスタイルも禅浄双修です。現在の中国や韓国の仏教寺院の多くが実践している方法です。
念仏禅(ねんぶつぜん)
これは、禅浄双修の思想が、より具体的に一つの修行法として確立されたものです。念仏そのものを禅の修行道具(公案)として使い、念仏を称える行為の中で自己の本性を探求していきます。
例えるなら、「禅浄双修」が「筋トレとランニングの両方を行う」という方針だとすれば、「念仏禅」は「『いかに走るか』という問い自体をテーマに、走りながら肉体と精神を鍛える」という、融合された特定の実践方法と言えるでしょう。
念仏禅の具体的な修行法
では、念仏禅とは具体的にどのように行うのでしょうか。これは「念仏公案」とも呼ばれ、以下のステップで進められます。
1. 姿勢を調える
まず、坐禅の基本である結跏趺坐(または半跏趺坐)で姿勢を正し、呼吸を静かに調えます。
2. 念仏を称える
次に、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と、声に出して、あるいは心の中で称え始めます。呼吸と念仏が一体になるように、その声に意識を集中させます。
3. 公案を問う
ここからが念仏禅の核心です。念仏を続けながら、自分自身に鋭く問いを投げかけます。
「今、南無阿弥陀仏と念仏している、この者は一体誰か?」
4. ひたすらに探求する
大切なのは、この問いに頭で答えを出そうとしないことです。「私だ」とか「自分の意識だ」といった理屈で答えるのではなく、ただひたすらに「誰が?」「この声の主は誰か?」と、声の根源に全身全霊で迫っていきます。雑念が浮かんでも追い払わず、ただ静かに念仏と「問い」の上に戻ります。
この修行の目的は、極楽浄土へ往生することではなく、念仏という行為を通じて「自分」という意識の殻を打ち破り、自己の本性(仏性)を直接体験すること(見性)にあります。
【重要な注意点】
念仏禅は、独学で進めると考えすぎたり、精神的に不安定になったりする危険性があります。ここで解説したのはあくまで基本的な手法であり、本来は必ず指導者(老師)のいる専門の道場で、直接指導を受けながら実践するものです。もし真剣に修行を志す場合は、必ず専門の寺院を訪ねるようにしてください。
日本で念仏禅に触れるには? ― 黄檗宗を訪ねて
このユニークな念仏禅の教えは、江戸時代初期に日本へ伝えられました。伝えたのは、中国・明から渡来した隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師です。彼が開いた宗派こそが「黄檗宗(おうばくしゅう)」です。
黄檗宗は、当時の明朝の仏教文化をそのまま日本に持ち込みました。そのため、日本の他の禅宗(臨済宗・曹洞宗)とは少し違う、華やかで国際的な雰囲気を今に伝えています。
日本で念仏禅の教えに触れたいと思ったら、この黄檗宗の寺院を訪ねるのが一番の近道です。
黄檗宗について
* 開祖: 隠元隆琦(いんげんりゅうき)
* 大本山: 萬福寺(まんぷくじ)(京都府宇治市)
* 特徴:
* 教えの中心は「禅浄双修」と「念仏禅」。
* 読経は「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれる音楽的な節回しで行われる。
* 精進料理である「普茶料理(ふちゃりょうり)」や、日本の煎茶道の源流となったことでも知られる。インゲン豆を日本に伝えたのも隠元禅師です。
大本山萬福寺では、一般の方向けの講座「黄檗山禅大学」や、坐禅会なども開催されています。ご興味のある方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
まとめと参考文献・Webサイト
坐禅の静けさと、念仏の祈りが一つになった「念仏禅」。それは、自己の力を信じる道と、大いなるものの力を信じる道が、決して別々ではないことを教えてくれます。この記事が、あなたの知らない仏教の新たな扉を開くきっかけになれば幸いです。
参考文献
『禅マインド ビギナーズ・マインド』 (鈴木 俊隆 著 / サンガ)
黄檗宗の教えや文化、講座の情報などを得られる最も信頼できる情報源です。