月影

日々の雑感

禅宗の臨済宗の教えに学ぶ、動じない「本来の心」の見つけ方

日々の様々な刺激で心が動き、怒りや不安、あるいは何かへの執着に振り回されて、精神の安定が保てないと感じることはないでしょうか。
禅宗臨済宗の教えでは、そうした揺れ動く心のさらに奥に、本来、何ものにも汚されず、執着に惑わされることのない静かな心が存在すると説きます。それこそが「仏心(ぶっしん)」あるいは「仏性(ぶっしょう)」です。これは、お釈迦様が、自燈明法灯明といって、他の人に頼るのではなく釈迦の教えと自分で悟りなさいといったことと一致します。

 

参考文献の「考案で学ぶ禅の問答集」の14項には次のような公案「無門関、 第30、31則」が載っています。

以下引用

大梅が馬祖に問うた。 「仏とは何ですか」

馬祖は言った。 「心そのものが、仏だ」

ある僧が馬祖に問うた。 「仏とは何ですか」

馬祖は言った。 「心にあらず、仏にあらず」

これは達磨が示した「心すなわち、これ仏。仏すなわち、これ心。心の外に仏なく、仏の外に心なし」(血脈論) に通ずるものです。馬祖は、大梅が仏は自分以外のところにあると思って質問したことを見抜いて、「即心即仏」を説いて、その執着を打ち砕いたのでしょう。

コロコロと変わり、ゆらゆらと動く自分の心をしっかりと見据えて、そんな心の奥にひそむ「心」をとらえ、そこに立つ心を「心」といいます。この「仏」は、何の意味分別もなく、一点の曇りもない純粋にして無垢なものです。その「心」が「仏」であり、「仏」はその「心」であるのです。「仏心」といわれるものが、これです。

引用終わり


私たちが修行によって新たに獲得するものではなく、誰もが生まれながらに内に具えている、仏と全く同じ清浄で動じない本性のこと。臨済宗が目指すのは、この事実を知識としてではなく、自らの体験として疑いなく悟ることにあります。


その「本来の心」を指し示す、古典的な3つの言葉をご紹介します。


1. 本来の面目(ほんらいのめんもく):後天的な役割を脱ぎ捨てた「素の自己」
「父母未生以前、なんれの面目か是れ汝が本来の面目」(父母もまだ生まれていない時、どのような顔がお前の本当の顔か)

これは有名な禅の問いです。私たちが社会で得た地位、名前、性格、善悪の判断といった、後から身につけたあらゆるものを取り払った先にある、何ものにも条件づけられていない純粋な自己。それこそが「本来の面目」であり、あなたの仏心です。
心が揺らぐとき、自分が着込んでいる役割や評価を一旦脇に置き、その奥にある「素の自己」に立ち返ってみてください。


2. 無位の真人(むいのしんじん):今、ここで活動する「生命の働き」そのもの
「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門(めんもん)より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ!」
(意訳:この生身の肉体には、何の肩書もない「真実の人間」がいて、いつもお前たちの顔から出入りしている。まだその正体に気づかない者は、今すぐ見抜け!)

これは宗祖・臨済禅師の言葉です。彼は仏心を、静的な「本性」としてだけでなく、今まさにここで活動しているダイナミックな「働き」として捉えました。
あなたが見る、聞く、感じるという、この瞬間の生命活動そのものが「無位の真人」であり、仏心の現れなのです。仏は遠くにいるのではなく、この肉体において今まさに生きている主人公こそが仏である、という極めて直接的な教えです。


3. 主人公(しゅじんこう):どんな時も動じない「自己の主体」
「主人公、惺々著(せいせいじゃく)なれ!」(主人公よ、目を覚ましているか!)
「他人に瞞(あざむ)されることなかれ!」(他人の言葉や物事に惑わされるなよ!)

これは、修行者が自らの仏心に立ち返るために、自身に問いかける言葉です。
外界の出来事や内面の感情に振り回されず、どっしりと落ち着いて主体的に在る「自己の主人公」。それこそが仏心です。心が乱れそうになった時、内なる主人公に「目を覚ましているか?」と問いかけることで、私たちは心の主導権を取り戻し、動じない中心に立つことができます。


まとめ:安らぎは、常にあなたの内にある
臨済宗は、「衆生本来仏なり(私たちは本来、仏である)」という絶対的な信頼の上に成り立っています。
安らぎは外の世界に求めるものではなく、常に「今、ここ」の自己の内に完全に具わっているという事実。そして、それは静止したモノではなく、日々のあらゆる生命活動そのものであるということ。
この究極の事実に、理屈ではなく直接的に体験として「気づく」こと(見性)が求められます。「本来の面目」「無位の真人」「主人公」という言葉を道しるべに、ご自身の内なる、決して揺らぐことのない心の存在を感じてみてください。

 

参考文献

生き方への問い、考案で学ぶ禅の問答集 武田鏡村 河出書房出版社
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【重要な注意点】
このブログは、仏教の教えに触れる中で筆者が学んだことや、日々の暮らしで感じたことを私的な解釈で綴っています。特定の宗派の公式な見解を示すものではありません。より深い信仰や修行、個人的なご相談については、ぜひ菩提寺や信頼できる僧侶の方へお尋ねください。