さまざまな こと思い出す 桜かな
探丸子の君、別墅の花見もよはさせ給ひけるに、昔のあともさながらにて
(探丸子の(芭蕉が若いころ仕えていた方(蝉吟公、せんぎんこう)の息子さん藤堂良長の俳号)という方が、別墅(伊賀国上野の下屋敷)での花見を設けてくださった。その様子は、昔自分が若いころ楽しんだ花見の様子そのままであった)
元禄元年(1688年)、芭蕉が若い頃を過ごした故郷・伊賀の国に帰省した際に詠んだ句です。桜の花を見て、若かりし日のさまざまな出来事を思い出しているのでしょう。
この句について、宗教学者、哲学者、僧侶の大峯顯さんは、生前、次のように解説しています。(動画 4:10 のところ)
「桜という言葉の中にこそ、桜があるのだ」と。
似たような短歌があります。
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな
一条院の御時、奈良の八重桜を、人の奉りて侍りけるを、そのおり、御前に侍りければ、その花をたまひて(題材にして)、「歌詠め」と仰せ言ありければ(読める);一条天皇の御代、奈良の興福寺から八重桜が献上された時に伊勢太輔が詠んだ歌です。その場に居合わせた藤原道長から、急に即興で歌を詠むように命じられ、詠んだ歌です。
(古き時代の奈良の都の八重桜が、今日、宮中にひときわ美しく咲き誇っています)
解釈
百人一首の一つとして有名なこの歌は、奈良の都に咲いていた八重桜が京都の御所に献上された時の情景を描いています。伊勢大輔は、中宮の彰子(藤原道長の娘)に仕えた女官で紫式部と知り合いでした。「いにしへの」という言葉から、奈良時代の昔、そして古き良き時代への郷愁が感じられます。
「けふ九重に匂ひぬるかな」は、宮中に献上された八重桜が、奈良時代を彷彿とさせるような美しさで咲き誇っていることを意味しています。九重という言葉には、中国で王城の門が九つ重なっていたところから皇帝の住む場所で皇居(宮中)という意味があります。八重桜が九重(宮中)に来て、花弁が一つ増えたことをかけて奈良時代より栄えているという意味が入っています。「にほひ」といっても香りではなく見た目の美しさを表します。桜の花は春の象徴であり、その美しさは時を越えて人々に感動を与え続ける力を持っていることを示唆しています。
参考文献
大峯顯さんの以下の本は龍樹菩薩など大乗仏教を広めた高僧を歌った和歌の解説書です。