【平家物語の聖地巡礼】神戸・須磨へ。敦盛塚と熊谷直実の悲話に涙する旅ガイド
わずか16歳の若武者・平敦盛と、彼を討った敵将・熊谷直実。日本史上、最も哀しい一騎討ちの舞台が、現在の神戸市須磨区にあることをご存知ですか?
この記事では、源平合戦のクライマックス「一の谷の戦い」の舞台を巡り、物語の裏にある武士たちの悲しい運命と祈りの軌跡を追体験します。平家物語ファンはもちろん、歴史に詳しくない方でも楽しめるモデルコースやアクセス情報もご紹介します!
そもそも「一の谷の戦い」とは?
半日で巡る!須磨・平家物語モデルコース
見どころ①:義経が駆け下りた崖

合戦の決め手となった、源義経の「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」。一体どれほどの崖を馬で駆け下りたのか、この目で見たいと思いました。海岸から向こうに見える山々を眺めると、ここからでもその急峻さがよく分かります。常識では考えられない奇襲作戦が、この地形から生まれたのだと実感しました。
見どころ②:悲劇の舞台 ― 平敦盛と熊谷直実

秋の紅葉が美しい季節、私は周辺の公園の一角に佇む「敦盛塚」を訪れました。塚には新しい花が供えられ、きれいに掃き清められていました。千年近い時を経てもなお、彼を偲ぶ人々がいることが伝わってきます。
この場所こそ、『平家物語』の中でも特に胸を打つ悲劇の舞台です。熊谷次郎直実が、笛の名手でもあったわずか16歳の若き公達・平敦盛を討ち取った場所として知られています。
見どころ③:「剛の者」の覚悟 ― 熊谷直実の和歌と祈り
敦盛を討った直実は、武士の非情さと運命に深く苦悩し、のちに法然上人のもとで出家します。彼は、自身の不退転の信仰を誓った、非常に味わい深い一首を残しています。
浄土にも 剛(がう)の者とや 沙汰すらん
西にむかひて 後ろみせねば
(意訳:私が浄土へ行ったとしても、周りは「あの剛の者が来た」と噂するだろうか。なにしろ私は、極楽浄土に向かって決して背中を見せない(=私の信仰は絶対に揺るがない)のだから)
この苦悩と決意の物語は、敦盛塚だけでなく、彼が出家した須磨寺でも深く感じることができます。須磨寺には、敦盛が愛用した「青葉の笛」や、二人が対面する場面を再現した「源平の庭」があり、物語の世界に一層浸ることができます。