【詳細編A】市場原理の崩壊:中国が仕掛ける「戦略的過剰生産」とデフレ輸出のメカニズム
中国の化学産業が記録的な増産を続けています。エチレンやプロピレンの過剰能力は過去最大規模へ。なぜ赤字でも工場は止まらないのか?その背後にある「国家資本主義の論理」と、欧州・日本の産業を襲う「産業空洞化」の波をデータで解説します。
はじめに:世界市場を飲み込む「赤い津波」
前回の【総集編】では、中国の増産が「国家の生存(Power)」をかけた戦略であることをお話ししました。
【総集編】中国化学産業の「利益なき増産」とサプライチェーンの武器化:世界への衝撃 - 月影
今回の【詳細編A】では、その実態を「数字」と「経済メカニズム」の視点から解剖します。
1. 数字で見る「異常」な過剰能力
まず、その規模感を共有しましょう。2024年から2025年にかけての中国の設備投資は、世界的な需要減退期にもかかわらず、ブレーキどころかアクセルを踏み込んでいます。
業界データ(ICIS等)によると、驚くべき数字が予測されています。
これは、「世界価格の決定権(プライス・セッター)」が中国に移ったことを意味します。中国国内で余った数千万トンの化学品が、底値で世界中にばら撒かれる構造が完成してしまったのです。
2. なぜ「赤字」でも工場を止めないのか?
通常の資本主義企業なら、製品を作れば作るほど赤字になる場合、ラインを止めます。しかし、中国では以下の「塩化ビニル樹脂(PVC)」の事例のようなことが常態化しています。
- 現状: 不動産不況で国内の建設需要は激減。
- 収支: トン当たり数百元の赤字(損失)が発生中。
- 結果: それでも2025年に新規プラントが稼働し、総能力は3,000万トンを突破。
なぜこのような不合理がまかり通るのでしょうか? その理由は、中国特有の「国家資本主義の論理」にあります。
① 雇用と社会安定(地方政府の論理)
巨大な化学プラントは、地域の雇用と税収(稼働していれば発生する増値税など)の源泉です。地方政府にとって、工場の停止は失業率の悪化と社会不安に直結するため、赤字補填をしてでも稼働を維持させる強いインセンティブが働きます。
② 「新三種の神器」への隠れた補助金
これが最も戦略的な理由です。化学産業(川上)が赤字で安値売りすることは、それを材料として使うEV、電池、太陽光パネル(川下産業)にとっては、「材料費が安くなる」ことを意味します。
つまり、化学部門の赤字は、国家戦略産業である「新三種の神器」の国際競争力を高めるための「隠れた補助金」として機能しているのです。
③ 「内巻(インボリューション)」と淘汰
国内市場が飽和する中、企業同士が生き残りをかけて過当競争(内巻)を繰り広げています。政府はこのデスゲームを利用し、体力のない中小を潰し、最強の企業だけを残す「淘汰」を進めています。生き残るためには、血を流してでも生産し続けるしかないのです。
3. グローバル市場への衝撃:欧州と日本の「産業空洞化」
この「中国発のデフレ輸出」は、他国の化学産業に壊滅的な打撃を与えています。
欧州:存亡の危機
欧州の化学産業は、「ウクライナ戦争による高エネルギーコスト」と「中国からの安価な製品流入」というダブルパンチを受けています。
BASF(ドイツ)やIneos(イギリス)といった名門企業さえも、欧州内の工場閉鎖や縮小を余儀なくされています。自国で作るより、中国から輸入した方が圧倒的に安い——この構造が、欧州の産業基盤を突き崩しています。
日本・韓国:再編か撤退か
地理的に近い日本と韓国も、その余波を直撃しています。
日本の石油化学大手(三菱ケミカルG、住友化学など)は、汎用品ビジネスの縮小や設備廃棄といった構造改革を急いでいます。韓国企業に至っては、エチレン生産能力の大幅削減を計画せざるを得ない状況です。
かつて中国は最大の「お得意様(輸出先)」でしたが、今や最大の「競合(ライバル)」となり、しかも相手は利益度外視で殴りかかってきているのです。
結論:2027年まで続く「我慢比べ」
この過剰生産問題は、一朝一夕には解決しません。設備投資の慣性により、少なくとも2027年頃までは過剰能力が解消されないとの見方が強まっています。
我々は今、市場経済の「効率性」が、国家主導の「戦略性」に敗北する現場を目撃しているのかもしれません。日本企業にとっては、汎用品での価格競争を諦め、中国が真似できない高付加価値品へ逃げ切れるかどうかが、生死を分ける数年になるでしょう。