私たちの日常は、様々な悩みや迷いに満ちています。そんな中で、もし「必ず清らかな道を歩み、悟りに至ることができる」という確かな約束があったとしたら、どれほど心強いでしょうか。浄土真宗の教えの中心である阿弥陀仏の四十八願の中に、まさにそのような力強い保証を示す一つの願いがあります。それが「第三十六願」です。
この願いは、一見すると少し難しく、私たち凡夫とは関係のない話のようにも聞こえるかもしれません。しかし、その奥には、性別や能力に関わらず、すべての者が仏道を成就してほしいと願う、阿弥陀仏の深く温かい慈悲の心が込められています。
今回は、この「第三十六願」の内容を丁寧に紐解き、そこに込められた現代を生きる私たちへのメッセージを探っていきます。
第三十六願「常修梵行 」とは?
まずは、第三十六願の原文、書き下し文、そして現代語訳を見てみましょう。この願いは、浄土に生まれた者が教えに従い、人々を導くことができるようになることを誓うことから常修梵行(じょうしゅぼんぎょう)あるいは、聞名梵行とも呼ばれます。
【原文】
設我得仏 十方無量不可思議 諸仏世界 諸菩薩衆 聞我名字 寿終之後 常修梵行 至成仏道 若不爾者 不取正覚
【書き下し文】
たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の諸の菩薩衆、わが名字を聞きて、寿終りてのち、常に梵行を修して、仏道を成るに至らん。もししからずは、正覚を取らじ。
【現代語訳】
わたしが仏になるとき、すべての数限りない仏がたの世界の菩薩たちが、わたしの名を聞いて、その命を終えた後に、常に清らかな行いを修めて、必ず仏の悟りを完成させることができるでしょう。もしそうでなければ、わたしは決して仏にはなりません。
この願いの対象は「菩薩」
この願いを読んで、まず大切なポイントは、この願いが直接向けられている相手が、私たちのような迷いの世界の衆生ではなく、「諸仏世界の諸の菩薩衆」であるという点です。
菩薩とは、仏の悟りを求めて修行する人々を指します。つまりこの願いは、すでに仏道を歩んでいる他の世界の菩薩たちが、阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)を聞くことによって、その命を終えた後、浄土でさらに修行を重ね、間違いなく成仏することができるように、という保証の願いなのです。
また、ここには驚くほど力強く、そして優しい約束が込められています。 それは、「菩薩になるための努力や学びは、死んであなたの記憶がなくなっても、決して消えることはない。次の人生においても、その歩みが続くように、私が必ず支え導きます」という、時空を超えたセーフティネットの保証なのです。
キーワード「常に梵行を修する」の深い意味
この願いの中で最も重要なキーワードが「常に梵行(ぼんぎょう)を修する」という一節です。
「梵行」とは、一般的に「清らかな行い」と訳されます。欲望から離れた、仏道にかなった実践のことを指します。しかし、この第36願の文脈では、もう一つ重要な意味が込められています。それは、男女間の性的な関係を持たないという、身の清浄さです。
これは、前にある第三十五願「女人成仏(にょにんじょうぶつ)の願」と深く関連しています。当時のインドの価値観では、女性は男性に比べて障りが多いと考えられ、そのままでは仏になることができないとされていました。第35願では、そんな女性が阿弥陀仏の名号を聞信すれば、必ず男性に生まれ変わって成仏できると誓われています。
この流れを受けて第36願では、浄土に生まれた菩薩たちは、もはや性別による区別や、それに伴う煩悩に悩まされることなく、ただひたすらに清らかな修行に専念し、仏道を成就することができる、と誓われているのです。
なぜ「命を終えた後」なのか?
もう一つ注目したいのが、「寿終之後(じゅしゅうしご)」、つまり「命を終えた後」という部分です。なぜ、この世で梵行を修するのではなく、命を終え、浄土に生まれてからなのでしょうか。
それは、この娑婆世界が、私たちの力だけでは清らかな行いを全うすることが極めて困難な場所だからです。様々な欲望や人間関係、社会的な制約の中で、誰もが完全に清らかな状態を保ち続けることはできません。
しかし、阿弥陀仏の浄土は、そのような煩悩の汚れから完全に離れた清浄な世界です。だからこそ、浄土に往生した後であれば、誰でも心安らかに、そして確実に仏道修行に励むことができるのです。
現代を生きる私たちへのメッセージ
「対象は菩薩で、しかも亡くなった後の話なら、今の私たちには関係ないのでは?」と思われるかもしれません。しかし、決してそうではありません。
この願いは、阿弥陀仏がどれほど深く、そして細やかに、すべての生きとし生けるものの「成仏」を願っておられるかを示しています。
* 差別のない救い:当時の価値観における女性という立場や、菩薩という修行の段階に関わらず、すべての人を仏道成就へと導こうとする、徹底した平等の精神がここにあります。
* 確実な保証:自らの力ではどうにもならない弱さや限界を抱えた者であっても、阿弥陀仏の本願の力によって、必ず清らかな悟りの世界へと至ることができるという、絶対的な安心感を与えてくれます。
まとめ
私たちは、この第36願を通して、阿弥陀仏という仏様が、いかに私たちの弱さや苦しみを深く理解し、それでもなお「必ず仏に成らせてみせる」と固く誓ってくださっているかを知ることができます。
その広大で無条件の慈悲に触れるとき、私たちは性別や能力、置かれた環境といった、この世の様々な違いを超えて、誰もが尊い仏の子として、力強く生きていく勇気をいただくことができるのではないでしょうか。
日々の生活の中で、自分の至らなさに落ち込んだり、将来への不安に駆られたりしたとき、この第36願を思い出してみてください。そこには、どんな者をも見捨てることなく、悟りの完成まで確実に見届けてくださる、阿弥陀仏の温かい眼差しが、いつでも私たちに向けられているのです。
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