「憎しみの連鎖」をどう断つか――ガザの惨禍とお釈迦様の真理、そして親鸞の眼差し
パレスチナのガザ地区とイスラエルを巡る凄惨な戦報が止みません。報復が報復を呼び、子供たちの命が奪われていく光景に、世界は「正義」の名を借りた終わりのない怨讐(おんしゅう)の闇を見ています。 この地獄のような連鎖を止める術はないのか。約2500年前、お釈迦様はこの問題の核心を突く言葉を遺されました。
お釈迦様が説いた「永遠の真理」
『ダンマパダ(法句経)』において、お釈迦様は憎しみの構造をこう喝破されています。
「かれは私を罵(ののし)った。かれは私を打った。かれは私を勝った(私が打ち負かされた)。かれは私から奪った。……という思いを抱かない人々には、怨みはついに静まる。」(あの人は私に悪いことをした(文句、暴力、敗北、強奪)」という記憶(きおく)に縛(しば)られ、相手を許せず、憎(にく)み続けていると、自分自身が一番つらい思いをすることになる)『ダンマパダ』第3・4偈
「この世においては、怨(うら)みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。」 『ダンマパダ』第5偈
「~された」という被害者意識(我執)を握りしめ、報復の剣を振るう限り、争いに終止符が打たれることはありません。憎しみを捨てることのみが唯一の出口である――。これはあまりにも明快で、冷徹なまでの「道理」です。
「女夜叉(めやしゃ)カーリー」の物語-ダンマパダ(法句経)
終わりのない復讐:二人の妻の物語
昔、ある男に妻がいましたが、子供が生まれませんでした。男は二番目の妻を迎えましたが、これに嫉妬した先妻は、後妻が妊娠するたびに薬を盛って流産させました。 三度目の妊娠の際、ついに後妻も命を落とすことになりますが、彼女は死の間際に「生まれ変わったら、あなたの子を食い殺してやる」と激しい呪いを抱いて息を引き取りました。 ここから、二人の恐ろしい「憎しみの連鎖」が始まります。
第一の転生: 先妻は「雌鶏」に、後妻は「猫」に生まれ変わりました。猫は雌鶏が産む卵を次々と食べてしまい、最後には雌鶏をも食い殺しました。
第二の転生: 今度は雌鶏が「豹(ひょう)」に、猫が「鹿」に生まれ変わりました。豹は鹿が産む子供をすべて食い尽くしました。
第三の転生: そしてついに、一方は「人間の女性」として、もう一方は「ヤッキニー(人食い鬼女)」として生まれ変わりました。鬼女は、人間の女性が産んだ子供を次々と奪って食べてしまいました。 女性は三番目の子供を連れて逃げ出し、ちょうど説法をしていたブッダのもとへ駆け込み、助けを求めました。追ってきた鬼女もブッダの前に引き据えられます。 二人の積年の憎しみを見たブッダは、静かにこう諭しました。
「もし、あなた方が私のところに来なければ、この憎しみは劫(気の遠くなるような時間)を超えて続いていたでしょう。憎しみは憎しみによって報いれば、さらに大きな憎しみを生むだけです。ただ、憎しみを捨てることによってのみ、それは消えるのです。」
この言葉を聞いた二人は、過去からの深い怨讐をようやく悟り、手を取り合って和解したといいます。
「捨てられない」という人間の業
しかし、私たち人間はどうでしょうか。大切な家族を奪われ、住処を焼かれてなお、「憎しみを捨てよ」という教えを実践できるでしょうか。 ここで私は、人間という存在の圧倒的な無力さを直視せざるを得ません。
「さるべき業縁(ごうえん)の催(もよお)せば、いかなるふるまいもすべし」(人は、どうしようもない縁(状況や条件)に直面すれば、自分でも思いもよらないような、どんな恐ろしいことでもやってしまう存在である)『歎異抄』第十三章
人間は、縁(条件)さえ整えば、どんなに残酷なこともしてしまう。そして、一度燃え上がった憎しみを自らの意志(自力)で消すことはできない。それが、私たち「凡夫(ぼんぶ)」の実相です。
自我の殻を溶かす「お念仏」の働き
「恨み」とは、強固な「自我(エゴ)」の殻が、傷ついた自分を守るために生み出す毒です。 自力で憎しみを消そうと足掻(あが)くことは、皮肉にもその「殻」をより厚くしてしまいます。
そこで、お念仏(南無阿弥陀仏)があります。「憎しみを消せないほど愚かな私を、そのまま救い取ってくださる大きな慈悲がある」と気づき、ただお念仏を称える。 それは、自分の力で争いを終わらせようという慢心を捨て、阿弥陀さまという大いなる「他力」に身を委ねることです。
自分が救いようのない凡夫であることを深く自覚し、光に照らされるとき、強固だった自我の殻はふっと緩みます。 殻が緩めば、その中に溜まっていた憎しみもまた、行き場を失って自然(じねん)に消えていくのです。
結びに代えて
争いを止めるのは、強靭な意志でも、武力による制圧でもありません。 「お互いに、救われるべき悲しき凡夫であった」という痛切な自覚こそが、握りしめた拳を緩める唯一の鍵となるのではないでしょうか。 一刻も早く、戦火の中にいる人々が、この静かな光に包まれることを願って止みません。両者の穏健派同士が穏やかに話し合うことできれば良いです。
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