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日々の雑感

【フランクルの教え】生きる意味とは?身体の自由を失っても奪われない「態度的価値」と最後の自由

第2部:人生に意味を見出す「3つの窓口」— どこに意味を宿すか

フランクルは、私たちが人生において意味を見出すためのルートは、大きく分けて3つのカテゴリー(価値)に集約されると説きました。これを理解することで、「何もできない」と思える状況の中にも、実は深遠な意味が隠されていることに気づくことができます。

何を与えるか

1. 創造的価値

自分が何かを創り出したり、仕事を完遂したりすることによって見出される意味です。

  • 芸術作品や製品を作る
  • 誰かの役に立つ仕事をする
  • 家庭を築き、子育てをする

「私が世界に対して何ができるか」という能動的な価値です。

何を受け取るか

2. 体験的価値

自然の美しさ、芸術、あるいは「愛」を通じて、世界から何かを受け取ることで見出される意味です。

  • 美しい風景に感動する
  • 音楽や文学に心を震わせる
  • 誰かを愛し、その人の唯一無二性を認める

「世界が私に何を与えてくれるか」を享受する受容的な価値です。

どう向き合うか

3. 態度的価値

変えることのできない「運命(苦悩、病、死)」に直面したとき、その状況に対してどのような態度をとるかで見出される意味です。

  • 不治の病を受け入れる気高さ
  • 絶望的な状況下での尊厳
  • 苦難の中での他者への優しさ

これこそが、フランクル思想の真髄である「状態意味」の正体です。

なぜ「態度的価値」が究極の意味なのか?

人生が順調なときは、仕事(創造)やレジャー(体験)に意味を見出すのは容易です。しかし、病気で身体が動かなくなったり、自由を奪われたりしたとき、最初の2つの価値は閉ざされてしまいます。そうなった時、生きる意味はないのでしょうか? 生きている限り、心は動かすことができるし自由です。

フランクルは言います。

創造的価値や体験的価値に意味を見出すことがもはや不可能になった時でさえ、態度的価値の実現によって、その人の存在の意味はなお満たされうるのである。
"Even when it is no longer possible for a man to find meaning in creative or experiential values, the meaning of his existence may still be fulfilled by the realization of attitudinal values."
— 『医師による心の救済』より
人間からあらゆるものを奪うことはできるが、たった一つ、『与えられた環境の中でいかなる態度をとるか、自分の道を選ぶ』という、人間としての最後の自由だけは奪うことができない。
"Everything can be taken from a man but one thing: the last of the human freedoms—to choose one’s attitude in any given set of circumstances, to choose one’s own way."
— 『夜と霧』より

なぜ「態度的価値」が究極なのか?

「無敵」の価値

「創造的価値(仕事や役割)」は、定年や病気によって失われることがあります。「体験的価値(旅や食事、娯楽)」も、身体の衰えによって制限されるかもしれません。

しかし、「態度的価値(心の持ちよう)」だけは、どのような境遇にあっても、たとえ死の直前まで行使し続けることができる「無敵」の価値なのです。

「人間らしさ」の証明

過酷な環境に対して、ただ感情的に反応するのは動物的な本能かもしれません。しかし、人間には「環境」と「自分」の間に、わずかな「間(ま)」を置く能力があります。

その「間」において、絶望に身を任せるのか、それとも尊厳を保つのか。その反応を自ら選ぶことこそが、人間を人間たらしめる独自の能力であり、自由の証明なのです。

「刺激と反応の間には、ひとつの空間がある。その空間をどう使うかに、私たちの成長と自由がかかっている」

では、この「態度的価値(状態意味)」を実際に体現した人々は、どのような精神の軌跡を辿ったのでしょうか。次章では、身体の自由を失いながらも、圧倒的な精神の自由を証明した先人たちの姿を見ていきます。