『不自由の中にこそ宿る「最後の自由」:フランクルの説く「状態意味」とは何か』
第1部:89%の人が求めている「何か」— 生きる意味の普遍性
フランクルのロゴセラピーの基本概念の中の意味への意志のところに、彼がフランスで行ったアンケートについて書かれています。
わたしは数年前にフランスでアンケートを実施したのですが、回答者の八十九パーセントは、人間はそのために生きる価値がある「何か」を必要としているという意見でした。さらに六十一パーセントは、自分の人生には、そのためなら死んでもかまわないと思う「何か」、または「誰か」が存在すると答えました。ロゴセラピーのエッセンス フランクル
この結果は、私たちが「人間」という存在をどう定義するかについて、非常に重い事実を突きつけています。
「何か」が必要である
死んでもかまわない「何か」や「誰か」がいる
この驚くべき数字は、精神科医ヴィクトール・フランクルが自身の思想を裏付けるために度々著作に引用されています。実に約9割の人が、単に「生存」するだけでなく、「生きるための理由」そして、「生きる意味」を本能的に求めているのです。
深掘り: 「生きる理由」と「生きる意味」はどう違うのか?
これらは似ていますが、フランクルの思想においては「動機」と「価値」の階層に違いがあります。
1. 「生きる理由」:自分を支える「杭(くい)」
具体的で、外的な対象や義務に結びついていることが多いもの。
特徴「なぜ死なないのか?」への直接的な答え。
具体例- 子どもを育てるため
- ローンを返すため
- 書きかけの原稿を完成させるため
フランクルの視点: 収容所での彼は「妻に再会したい」等の具体的理由を自分を繋ぎ止める杭にしました。
2. 「生きる意味」:納得感と価値
理由を通じて「何を実現しているか」という全体的な納得感を指すもの。
特徴「理由」が線なら、「意味」は面。人生を「これでいい」と肯定できる状態。
具体例- 誰かを愛すること
- 苦難に耐え抜くこと(尊厳)
- 使命を全うすること(責任)
フランクルの視点: 彼は具体的理由が絶たれた(妻の死)瞬間でさえ、その悲しみへの「態度」に価値を見出しました。
結論: 「生きる理由」は「生きる意味」を見出すための具体的な窓口である
かつて「人はパンのみにて生きるにあらず」と言われましたが、フランクルの視点に立てば、人間は「意味を食べて生きる存在」だと言い換えることができます。お腹が満たされ、身体が安全であっても、そこに「意味」が見出せなければ、私たちの精神は飢え、枯渇してしまいます。
逆に言えば、たとえパンが一口しかなく、身体が不自由な檻の中にあったとしても、明確な「意味」を見出している人間は、驚異的な強さを発揮します。
フランクルがこの統計を単なる数字としてではなく、揺るぎない「確信」として重視したのには理由があります。彼はナチスの強制収容所という、人間としての尊厳も自由もすべて剥奪された極限状態を生き延びた人物だからです。
「強制収容所で生き残る可能性が高かったのは、体力がある者でも、要領が良い者でもなかった。それは、
『自分を待っている何か(仕事)』や『自分を待っている誰か(愛)』のために、生きなければならない理由を持っていた者である」
アウシュヴィッツの絶望の中で彼が目撃したのは、身体の自由を奪われてもなお、精神の自由を失わず、自らの「生きる意味」に踏みとどまった人々の姿でした。このフランスでのアンケート結果は、彼が地獄のような日々の中で確信した「人間の本質」を、平時を生きる人々の声としても証明するものだったのです。
参考文献