なぜ中国の禅寺では
念仏を唱えるのか?
明清代の「念仏禅」と日本文化を変えた渡来僧たち
日本人が中国の禅寺を訪れると、ある光景に驚きます。座禅堂の中で、僧侶たちが熱心に「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」と唱えているのです。
「えっ、禅宗って『座禅』で自力で悟る宗派じゃないの? 念仏は浄土宗(他力)でしょ?」
日本では明確に分かれているこの二つですが、中国では明・清の時代に完全に合体していました。第4回は、日本人が知らない「禅と浄土の融合」と、インゲン豆と共に日本へやってきたエキゾチックな禅僧たちの物語です。
1. 禅と浄土の合体(シンクレティズム)
宋代以降、中国では度重なる戦乱や弾圧により、教団を維持するために宗派間の協力が進みました。「禅の厳しい修行(自力)」と「阿弥陀仏への救い(他力)」は矛盾するものではなく、むしろ補完し合うものだと考えられたのです。
2. 鎌倉の「純粋禅」と江戸の「融合禅」
日本には二つの大きな波で中国禅が伝わりました。この違いが、現在の日本の禅宗の性格を決めています。
3. 隠元禅師が持ってきた「シノワズリ」
隠元禅師が日本にもたらしたのは、宗教だけではありません。鎖国中の日本において、彼は最新の中国文化(明朝文化)の伝道師でした。
彼がもたらした(とされる)ものを並べてみると、今の日本の食卓がいかに彼に影響されているかが分かります。
また、私たちがよく見る「木魚(もくぎょ)」の形も、隠元禅師が伝えた形式が広まったものです。
日本の禅は「純粋」を守り、
中国の禅は「融合」で生き残った。
中国の禅は「融合」で生き残った。
「日本的な禅こそが本来の姿だ」と思いがちですが、中国の禅は時代の変化に合わせて柔軟に姿を変え、たくましく生き残ってきました。その「変化する力」こそが、中国禅の真骨頂なのかもしれません。
さて、このしなやかな中国禅は、20世紀の文化大革命という最大の危機をどう乗り越え、現代のIT社会でどう復活したのでしょうか?