働いているのに、家がない。アメリカを蝕む「働くホームレス」という現実
公開日: 2025年11月3日
毎日まじめに働いているにもかかわらず、帰る家がない。これは、遠い国の話でも、個人の怠慢の結果でもありません。現代アメリカで急増している「働くホームレス(ワーキングホームレス)」という深刻な社会問題です。
この衝撃的な現実が、3つの巨大な経済的圧力(インフレ、低賃金、住宅危機)が交差することで生まれた、構造的な破綻であることを示唆しています。本記事では、その詳細を解き明かします。
1. 物価高の「見えない」真実:なぜ生活必需品だけが上がり続けるのか?
ニュースでは「インフレは3.0%に鈍化」と報じられています。しかし、この数字は、低所得世帯が直面する現実を隠しています。
総合指数とは裏腹に、生活に不可欠な項目の価格が高騰し続けている事実が問題です。2025年9月の前年比です。
消費者物価指数 Summary - 2025 M09 Results
- 天然ガス: +11.7%
- 電気: +5.1%
- 食肉・家禽・魚・卵: +5.2%
- 自動車のメンテナンス・修理: +7.7%
これらは贅沢品ではありません。家を暖め、食事を作り、職場へ通うために絶対に必要な支出です。所得が低い世帯ほど、収入の大部分がこれらの「非裁量的支出」に消えていきます。これは、もはや経済現象ではなく、最も弱い立場の人々を狙い撃ちにする「逆進的なインフレ税」と呼ぶべき状況です。
2. 83,730ドルの罠:平均以下の生活と「働く貧困層」
2024年のアメリカの世帯収入中央値は83,730ドル(日本円では、およそ1千3百万円です)。しかし、この「平均」の数字は、恐ろしいほどの地域間格差を覆い隠しています。
「平均」収入では暮らせない現実
以下の表は、各州の収入中央値と、大人2人・子供2人の世帯が「安定した生活」を送るために必要な推定年間生活費を比較したものです。
| 州 | 世帯収入中央値 (2024年) | 推定年間生活費 (家族4人) | アフォーダビリティ・ギャップ |
|---|---|---|---|
| マサチューセッツ州 | $113,900 | $115,464 | -$1,564 |
| カリフォルニア州 | $100,600 | $114,576 | -$13,976 |
| ニューヨーク州 | $86,830 | $110,952 | -$24,122 |
| コロラド州 | $106,500 | $102,120 | +$4,380 |
| テキサス州 | $81,490 | $89,328 | -$7,838 |
| フロリダ州 | $75,630 | $93,924 | -$18,294 |
| ミシシッピ州 | $55,980 | $78,576 | -$22,596 |
この表が示すように、ニューヨーク州やカリフォルニア州、フロリダ州のような多くの地域では、「平均的な」収入を得ていても、生活費をまかなうことができません。
アメリカの州ごとの生活コスト 2025 - TimeTrex
2024,州ごとの世帯収入 FRED | St. Louis Fed
人々は家賃を払うために、食費や医療費を削るという「予算のトリアージ」を強いられています。その結果、働いているにもかかわらず公式な貧困ライン以下で生活する「働く貧困層(ワーキングプア)」は640万人に達しています。彼らこそが、ホームレス状態に陥る瀬戸際にいる人々です。
3. 最後のセーフティネットの崩壊
これらの圧力が臨界点に達したのが、住宅市場です。
2024年、米国のホームレス人口は過去最高の771,480人を記録しました。パンデミック時代の家賃支援策が終了し、家賃が賃金を遥かに上回るペースで上昇し続けた結果です(2001年以降、家賃は23%上昇、賃貸人の収入はわずか5%上昇)。
ホームレスの数の統計/2024-AHAR-Part-1.pdf
手頃な価格の賃貸住宅は絶望的に不足しています。極めて低所得の賃貸世帯100世帯に対し、入居可能な住宅はわずか35戸しか存在しません。これは、もはや市場の失敗です。
4. 「なぜ私が?」:統計の裏にいる人々の声
この77万人という数字の中に、統計から見落とされがちな「働くホームレス」が急増しています。彼らは、従来のホームレスのイメージとは異なるため、社会から「見えない」存在となっています。
「どうしてこんなことが起こるの?」
— コケシア・グッドマン氏(フルタイムの在宅介護士)
彼女は、過失のない立ち退きが引き金となり、定職があるにもかかわらず子供たちとホームレス状態になりました。
働いているホームレス – Porchlight Book Company
この危機は、低賃金労働者だけのものではありません。会計学の学位を持つ法人税務マネージャーだったジム氏(53歳)も、両親の介護で貯蓄を使い果たした後、車上生活者となりました。彼は当初、「人生で正しいことをすべてやってきたのに、なぜ自分がここにいるのか」という現実に苦しんだといいます。
Uberの運転手、コールセンターの従業員、小売店の店員...。彼らは車やモーテルで仮眠をとり、公共施設で体を洗ってから、何食わぬ顔でシフトに向かいます。彼らは雇用を失わないために、自らの状況を必死に隠しているのです。
5. これは個人の失敗ではない。構造的な破綻だ。
働くホームレスの増加は、個人の失敗ではなく、社会契約の根本的な崩壊を示しています。つまり、「まじめに働けば、尊厳ある生活が送れる」という前提が崩れ去ったのです。
求められる3つの柱
この危機を解決するため、報告書は3つの柱からなる包括的な政策を提言しています。
- 緊急支援の強化:
家賃支援や立ち退き防止プログラムを拡大し、人々が家賃と食費のどちらかを選ぶ必要がないよう、食料支援(SNAP)を強化する。 - 構造的な賃金改革:
連邦最低賃金を、地域の生活費と連動した「真の生活賃金」に引き上げる。不安定なギグワーカーの保護を強化する。 - 国家住宅イニシアチブ:
市場の投機に左右されない、恒久的に手頃な価格の「公的住宅」の建設に大規模な公的投資を行う。
結論:経済的成功を「再定義」する時
GDPや株価だけを見て「経済は好調だ」と語る時代は終わりました。
経済の健全性を測る真の指標は、「フルタイムで働く労働者が、安全で安定した住居を確保できるかどうか」であるべきです。
この本質的な問いから目をそらし続ける限り、アメリカの「見えない危機」は拡大し続けるでしょう。