【続・足利義山の教学】「心相覚知」と「いわれ滅罪」の神学的深層(増補版)
先日公開した記事(救いは「気づく」もの? 近代浄土真宗の巨星・足利義山の「信心」をめぐる探求)では、近代浄土真宗の勧学・足利義山(あしかが ぎざん)の教学について、その概要をご紹介しました。
前回の記事では、義山の核心的な思想として、
- 信心獲得には意識的な「気づき」が伴うとする「心相覚知説(しんそうかくちせつ)」
- 罪は消滅するのではなく、本願の力によって「無力化」されるとする「いわれ滅罪説(めつざいせつ)」
の2点を中心に解説しました。
今回の記事は、その続編(増補版)です。
前回の内容を踏まえ、義山の「心相覚知説」が、歴史的な論争の中でどのように位置づけられ、そして現代の教学においてどのように再評価されているかを、岐阜聖徳学園大学教授・河智義邦氏の論文「真宗教学における信心非意業説の問題」を参考にしながら、より専門的に掘り下げてみたいと思います。
1. 歴史的論争:「覚知」は「自力の疑い」か?
まず、義山が生きた時代の論争を振り返ります。
義山の「心相覚知説」は、「一念覚不論(いちねんかくふろん)」—信心獲得の瞬間に覚知はあるか否か—という大きな論争に対する彼の答えでした。
空華学派の懸念:「覚知」は「自力の疑い」である
義山と対立した空華(くうげ)学派が「覚知」を厳しく批判したのは、信心に人間の「意識」や「体験」が介在することを、「自力(じりき)の疑い」が入る隙(すき)だと見なしたからです。
空華学派の立場を徹底すれば、「信心を賜った」という出来事自体が、阿弥陀仏の側(法)の絶対的な働きかけであり、人間の側(機)の心理状態は一切問われません。「気づいた」と思った瞬間に、それは「気づいたと思う自分の心」を頼りにする自力になってしまう、というロジックです。
義山の反論:時間(時)ではなく性質(心相)の議論である
これに対し、義山は批判者たちが「覚知」の意味を誤解していると反論します。
彼が論じたのは、信心の「心相(しんそう)」、すなわち信心の「性質」そのものです。義山によれば、信心とは善知識(ぜんちしき、師)から仏願の由来を「聞き(聞法)」、それを「理解する」ことによって賜るものです。そこには必ず知的な理解と心の変革が伴うため、それを「覚知ではないとはいえない」としました。
彼の言う「覚知」とは、「自らの心で起こす決意(自力)」ではなく、「他力によって恵まれた信心の、意識的な実相」なのです。
2. 現代の視点:「非意業説」の限界と「心相覚知説」の再評価
義山が反論した「覚知は自力だ」という批判は、その後、浄土真宗の伝統的な教学の中で「信心非意業説(しんじんひいごうせつ)」として主流の解釈となっていきました。
- 意業(いごう)
- 私たちの「こころの働き」や「意識的な行為」。
- 非意業(ひいごう)
- 私たちの意識的な働きが「関与しない」こと。
つまり「信心非意業説」とは、「信心が成立する最初の瞬間(初起の一念)は、私たちの意識的な計らい(意業)が一切入らない、100%阿弥陀如来の働きによるものだ」という考え方です。
しかし、この「非意業説」に対し、河智義邦氏の論文は鋭い疑問を呈します。以下のリンクで論文を見れます。
真宗教学における信心非意業説の問題 -「伝わる伝道」考-河智義邦
「非意業説」が抱える問題点
河智氏は、「信心を得た」のに本人がその瞬間をまったく自覚しない(非意業)ということが、宗教体験としてあり得るのか、と問います。親鸞聖人自身が「雑行を棄てて本願に帰す」と、明らかに人生の転換点(回心)を自覚していた記述を残していることとも矛盾しかねません。
さらに河智氏は、この非意業説を突き詰めると、「名号印現説(みょうごういんげんせつ)」という理解につながりやすいと指摘します。
これは、「阿弥陀様の『南無阿弥陀仏』という名前(名号)が、聞法者のまっさらな心(白紙)に判子(はんこ)を押すように、一方的に信心を捺印(なついん)する」という理解です。河智氏は、信楽峻麿(しがらきたかまろ)氏らの言葉を引きながら、このような理解は「呪術的(じゅじゅつてき)だ」と厳しく批判します。
「仏智の自覚」としての「心相覚知説」
ここで、義山の「心相覚知説」が、現代的な視点から再評価されることになります。
河智氏によれば、歴史的な論争の中で「心相覚知説」は、「信心を得た日時は忘れてもよいが、信心を得たという『心の状態(心相)』そのものは、本人がはっきりと自覚(覚知)できる」という説として位置づけられます。
これは、信心を「判子を押される」ような受動的なものではなく、「仏智(ぶっち)の自覚」として捉え直す視点です。
信心とは「仏の智慧」が私たちに認識・自覚されることであり、それは自己中心的な物の見方から解放され、人生観そのものが転換(回心)することへの「頷き」に他なりません。
つまり、信心とは「他力によるめざめ(自覚)」です。
阿弥陀仏の働きかけ(他力)によって、「なるほど、そうだったのか!」と私たちの意識(意業)が呼び覚まされる。
足利義山が「心相覚知」として重視した「心の状態の自覚」は、まさにこの「仏智への目覚め」を指していると再評価できるのです。河智氏は、呪術的な理解を脱し、こうした「自覚」としての信心を取り戻すことが、現代の「伝わる伝道」に必要だと訴えています。
3. 「滅罪」の構造—『体滅相存説』 対 『いわれ滅罪説』
(※このセクションは、義山のもう一つの核心的な教義であり、前回の記事から継続して掲載します。)
「覚知」の議論と並ぶ、義山のもう一つの核心が「いわれ滅罪説」です。
この論争は、明治24年(1891年)に東陽円月(とうよう えんげつ)との間で交わされました。
対立説(体滅相存説):円月は「信心を賜った瞬間、過去の罪の『本体(体)』は滅びるが、その罪の『相(すがた)』は残存する」と説きました。
義山の説(いわれ滅罪説):義山は、このような区別自体を「はからい」と退けます。彼の説の核心は、阿弥陀仏の本願の力(いわれ)によって「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益」—すなわち、固く抱きとめられ、決して見捨てられない状態—に入ること、そのものです。
ひとたび摂取不捨の身となれば、罪が「往生の妨げ」となりうるという土台そのものが崩壊します。罪が消えるか残るか、という次元ではなく、罪が救済の障害として機能しなくなること。これが「いわれ滅罪」のラディカルな点です。
4. 結論:「覚知」と「滅罪」の統合
義山の「心相覚知説」と「いわれ滅罪説」は、密接に結びついています。
- 「心相覚知説」
「自分はすでに摂取不捨の身である」という、他力による救いの確定を、信者が意識的に受け止める(覚知する)側面。 - 「いわれ滅罪説」
その「摂取不捨」の身となった結果、過去の罪が救いの障害としての力を失う(いわれ滅罪)という側面。
義山の「心相覚知」は、「いわれ滅罪」が成立したことの、信者側における意識的な確認作業とも言えます。そして、この2つが確立するからこそ、信心の後に称える念仏は、罪を消すための手段ではなく、純粋な「報恩謝徳(ほうおんしゃとく)」の行として成立するのです。
足利義山が近代に提唱した「心相覚知説」は、当時の「自力」批判の中で埋没しかけましたが、現代において「信心非意業説」の呪術的な理解を乗り越え、「仏智の自覚」としての信心を回復するための重要な手がかりとして、再び光が当てられています。