高市内閣で「スパイ防止法」は実現するのか? 新連立の思惑と立法の行方
高市早苗氏が首相に就任し、日本維新の会との連立政権が発足したことで、長年日本の政治的課題であった「スパイ防止法」の制定が、かつてないほど現実的なテーマとして浮上しています。
しかし、この法案は「国家安全保障」と「国民の自由(報道の自由や知る権利)」という、二つの根本的な価値観の対立をはらんでいます。
高市新政権下でこの法律がどうなろうとしているのか、その実現可能性を分かりやすく解説します。
焦点は「経済安全保障」へのシフト
過去の議論と今回が決定的に違うのは、その「フレーミング(議論の枠組み)」です。
1985年に廃案となった法案は、伝統的な「軍事・外交機密」が中心でした。これに対し、高市氏が主導する現代の議論は「経済安全保障」と「技術的優位性の維持」に重点を置いています。
具体的には、「スクラムジェットエンジンや耐熱材料といった先端技術が競合国に流出し、兵器開発に利用される」といった、より国民生活に直結する経済的脅威を前面に出しています。これは、政治的に反発の強い「スパイ防止法」という名称を避け、法案への理解を得ようとする戦略的な転換と言えます。
賛成派と反対派の「異なる戦場」
この法案を巡る議論は、根本的に異なる土俵で行われています。
- 賛成派(高市氏など)の論理:
- 外部の脅威: 「日本の先端技術はだだ漏れだ」。中国やロシアによる技術窃取が安全保障上の脅威になっている。
- 現行法の不備: 不正競争防止法では、商品化前の研究(大学など)や、国家が背後にいるスパイ活動には対応できない。
- 国際的要請: 米英など同盟国と共同研究開発を進めるため、厳格な「セキュリティ・クリアランス(適格性評価)」制度が不可欠。
- 反対派(野党・弁護士会など)の論理:
- 内部の脅威: 「国民を監視し、政府に異論を唱える人を排除する」ために使われるのではないか。
- 歴史の反響: 戦前の「治安維持法」の再来であり、報道の自由や知る権利が著しく萎縮する。
- 権力の暴走: 国民の監視が及ばない「秘密警察」のような組織が生まれ、冤罪の温床になる。
賛成派は「外国による技術窃取(外部の脅威)」を、反対派は「国家による自国民の抑圧(内部の脅威)」を議論しており、この「フレーミング・ギャップ」が議論を平行線にさせています。
目指すは「諸外国並み」? 3つの国際モデル
「諸外国並み」と言っても、その中身は様々です。レポートでは、代表的な3つのモデルが分析されています。
- 米国モデル(経済・法執行中心):
「経済スパイ法」が中心。営業秘密(トレードシークレット)の窃取を国家の脅威とみなし、FBIが強力に捜査します。 - 英国モデル(現代的・広範な枠組み):
2023年の「国家安全保障法」。スパイ活動、サイバー攻撃、政治プロセスへの干渉など、対象が極めて広範です。重要なのは、権限の濫用を防ぐため、議会に報告する「独立審査官」という強力な監視メカニズムがある点です。 - 豪州モデル(広大な権限と論争):
法執行機関に「データ破壊」や「アカウント乗取り」といった前例のない強力な権限を与えています。しかし、司法の監視や人権保護が不十分として、国内外から激しい批判に晒されています。
どのモデルを選ぶかは、国家が「安全」と「自由」のどちらに軸足を置くかという哲学そのものを問うことになります。
最大の焦点:新連立の「意志」と「力」のギャップ
かつての「ブレーキ」は「アクセル」へ
かつての自公連立では、公明党が安全保障法制において「ブレーキ役」を果たしてきました。2013年の特定秘密保護法でも、公明党の要求で「知る権利への配慮」や「第三者機関の設置」といった保護規定が盛り込まれました。
しかし、高市・維新連立では、この力学が根本的に変わりました。
日本維新の会は、スパイ防止法の制定を党の政策として明確に掲げており、法制化に極めて積極的です。連立合意文書にも「スパイ防止関連法制の速やかな成立」が明記されています。
つまり、連立内の「ブレーキ役」は消え、むしろ法案推進の「アクセル役」へと変わったのです。
最大の障壁:「過半数割れ」の現実
連立与党は、法案を強力に推し進める「意志」は持っています。
しかし、現在の自民・維新連立は衆参両院で過半数を確保できていません。
これは、法案を単独で可決させる「力」を持たないことを意味します。
2013年に特定秘密保護法を成立させた安倍政権の「安定多数」とは、状況が全く異なるのです。
結論:法案成立の3つのシナリオ
この「意志は強いが、力(議席)が足りない」という状況を踏まえると、法案の行方は以下の3つのシナリオに絞られます。
シナリオ1:「強硬な法律」(豪州モデル)
実現可能性:低い
野党の支持が絶望的な、チェックの効かない強力な法律を成立させることは、議席数的に不可能です。
シナリオ2:「漸進的なアプローチ」(既存法改正)
実現可能性:高い
これが最も現実的な道筋です。「スパイ防止法」という名前を避け、既存の「経済安全保障推進法」を改正する形です。
当面の最重要目標である「セキュリティ・クリアランス制度」の導入を、政治的ダメージを最小限に抑えて達成できます。
シナリオ3:「均衡の取れた」独立法(英国・妥協モデル)
実現可能性:中程度
連立与党が目指す本来の形です。これが実現するかは、ひとえに野党との交渉にかかっています。
過半数に足りない議席を埋めるため、国民民主党など一部の野党の支持を取り付ける必要があり、そのためには英国の「独立審査官」のような強力な監視機関の設置など、大幅な譲歩が求められます。
高市・維新連立政権は、過去数十年で最も強力にスパイ防止法制を推進する政権であることは間違いありません。しかし、その実現は「過半数割れ」という冷徹な政治的現実によって厳しく制約されています。
最終的な着地点は、連立与党の強い意志と、それを可決するために必要な「政治的妥協」の産物となるでしょう。