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日々の雑感

【1秒で確認】手を組んでみて。親指は左が上?右が上? その「クセ」に隠された遺伝の意外なナゾ

 

「手の組み方」の遺伝学:なぜ「優性遺伝」は神話なのか?

あなたは普段、何気なく両手を組んだとき、どちらの親指が上にきていますか?これは「握手様式(Hand-Clasping)」と呼ばれる古くから研究されてきた特徴です。多くの人が「左親指が上(L型)は優性遺伝」と聞いたことがあるかもしれませんが、最新の研究報告に基づくと、それは“神話”に過ぎないことがわかっています。

あなたのタイプは? L型とR型

「握手様式」は、両手の指を組んだときに、無意識にどちらの親指を上にするかという「姿勢のクセ」のようなものです。これは非常に一貫しており、逆の組み方をすると強い違和感を覚える人がほとんどです。

左親指が上に来る場合を「L型」、右親指が上に来る場合を「R型」と分類します。

世界的な統計では、約55%がL型、約44%がR型と、L型がわずかに多いことが知られています。この「L型が多数派」という事実が、後の誤解を生む一因となりました。

最大の誤解:「L型=優性遺伝」はなぜ間違いか?

学校の生物の授業などで、「左親指が上(L)は優性、右親指が上(R)は劣性」と習ったことがあるかもしれません。この通説は広く浸透していますが、遺伝学的には決定的に否定されています。ただ、遺伝が絡んでいることは間違い無いです。下の表を見ますと、LXLの親からLの子供が多いし、RXRの親からはLの子供が少なくなっています。

決定的な反証:データが示す真実

もしこの形質が単純なメンデル遺伝に従い、R型が劣性(遺伝子型を rr とします)だと仮定しましょう。その場合、R型の両親(rr × rr)から生まれる子どもは、理論上100% R型(rr)になるはずです。L型(優性、R?)の子どもが生まれることはあり得ません。

しかし、過去の18の研究データを統合した大規模な分析(Reiss 1999)によると、現実は全く異なります。

親の組み合せ(表現型) L型の子どもの数 R型の子どもの数 L型の子どもの割合 単純メンデル遺伝の期待値(R劣性時)
L x L 1252 880 59% 75% - 100%
L x R 2309 2573 47% 50% - 100%
R x R 1298 2815 32% 0%
R型 × R型の両親から生まれた子どものうち、32%(約3分の1)がL型であった。

この「32%」という数字が、単純な優性・劣性の法則を完全に否定する動かぬ証拠です。もしR型が劣性なら、この数字は0%でなければなりません。

この事実から導き出される結論は、「手の組み方は、単純な1つの遺伝子で決まるものではない」ということです。

では、何が「手の組み方」を決めるのか?

単純な遺伝でないなら、何が影響しているのでしょうか。研究者たちは、これは遺伝と「偶然」が絡み合う、はるかに複雑なメカニズムだと考えています。

モデル1:変動非対称性(FA)モデル

これは、遺伝子が「左か右か」を直接決めるのではなく、「発達の安定性」をコントロールしているという考え方です。私たちの身体は左右対称に作られようとしますが、発生の過程でごくわずかな「ノイズ」や「偶然」が生じます。

遺伝的要因がその「ノイズ」の許容範囲を決め、最終的にどちらの手を上にするのが「ほんの少し快適か」が偶然によって決まり、それが習慣として固定される、というモデルです。

モデル2:三対立遺伝子(D, S, C)モデル

家族データを数学的に説明するため、McManusら(1979)は「D(右バイアス)、S(左バイアス)、C(偶然)」という3つの仮想的な対立遺伝子を仮定するモデルを提唱しました。これもまた、単純な優性・劣性では説明がつかない複雑さを示しています。

重要:「利き手」と「手の組み方」は全く別物

「手の組み方」と「利き手」は、どちらも左右非対称性ですが、両者の間に強い相関関係はありません。L型だから左利き、R型だから右利き、ということはないのです。

  • 利き手:脳の機能(中枢神経)の左右差と強く関連しています。
  • 手の組み方:脳ではなく、おそらく「手そのもの」のわずかな物理的・骨格的な左右差(末梢)によって決まる「姿勢のクセ」だと考えられています。

この2つは、遺伝的にも発生学的にも独立した現象として扱われます。

日本人集団に見る特異性

この研究をさらに複雑にしているのが、集団(民族)間の違いです。

興味深いことに、前述した複雑な遺伝モデル(三対立遺伝子モデルなど)は、そのままでは日本人集団の家族データにうまく当てはまりません。データを説明するためには、遺伝子の「優劣の度合い」や「浸透度」といったパラメータを、非日本人集団とは異なる設定にする必要があります。

これは、手の組み方を決める遺伝子の働きが、集団(民族)特有の「遺伝的背景(他の遺伝子との相互作用、エピスタシスと呼ばれる)」によって調整されていることを強く示唆しています。

なぜ特定の「遺伝子」が見つからないのか?

これだけ研究されているにもかかわらず、現代のゲノム解析技術(GWAS)をもってしても、「手の組み方を決める特定の遺伝子」はまだ見つかっていません。

その理由は、この形質が「極めてポリジェニック(非常に多くの遺伝子が関与する)」だからだと考えられています。つまり、1つの強力な遺伝子ではなく、何百、何千という遺伝子がそれぞれ「ほんの少し」ずつ影響を与え、そこに「発生過程の偶然」が加わって、最終的なL型/R型が決まるのです。

現在のゲノム解析は、こうした複雑で偶然性の高い形質を特定するのがまだ苦手なのです。

結論:遺伝は「設計図」か、それとも「確率」か

「手の組み方」の遺伝学が私たちに教えてくれるのは、遺伝が単純な「AかBか」の設計図ではない、ということです。今回の報告をまとめると、以下のようになります。

  • 「L型が優性」という通説は、R型同士の親からL型の子どもが生まれる(32%)というデータによって決定的に否定されている
  • 遺伝的要因は存在するが、それは多数の遺伝子が関与するポリジェニックなものであり、さらに発生過程の「偶然のノイズ」によって強く影響される。
  • 手の組み方は「脳」の機能(利き手)とは無関係であり、おそらく「手」の物理的な微細な左右差によって生じる「姿勢のクセ」である。
  • 特定の遺伝子が見つからないのは、この形質が持つ「高い複雑性」と「偶然性」が、遺伝的シグナルを覆い隠しているためである。

何気ない手の組み方一つにも、これほどまでに複雑な遺伝と発生のドラマが隠されています。あなたの親指がどちらであれ、それは単純な遺伝ではなく、遺伝的背景と「偶然」が織りなした、あなただけのユニークな結果なのです。