法然聖人の内なる世界
『西方指南抄』が伝える瞑想の境地と夢のお告げ
浄土宗の開祖、法然聖人。その教えは多くの人々に救いの道を示しましたが、聖人ご自身がどのような内面的な体験をされていたのか、知る機会は多くありません。しかし、弟子・親鸞聖人が書写したとされる『西方指南抄』には、法然聖人ご自身の書きつけが収められており、その信仰の深淵に触れることができます。
今回はその中から、聖人が体験された瞑想の境地と、重大な確信を得るきっかけとなった夢の記録をご紹介します。
実践者としての姿 ― 念仏三昧の境地
『西方指南抄』の「(三)聖人御在生之時記註之」には、「聖人のみづからの御記文なり」と記され、聖人ご自身による修行の記録が綴られています。そこには、一日七万遍もの念仏を続けた末に到達した、驚くべき瞑想の境地が客観的な筆致で記されています。
初めは、極楽浄土の地面が瑠璃(ラピスラズリ)のように輝いて見える境地から始まります。
二月四日の朝、瑠璃地分明に現じたまふと[云]。六日、後夜に琉璃の宮殿の相これを現ずと[云]。
修行が深まるにつれて、そのヴィジョンはより鮮明になり、ついには阿弥陀三尊のお姿をはっきりと拝まれるまでに至りました。
元久三年正月四日、念佛のあひだ三尊大身を現じたまふ。また五日、三尊大身を現じたまふ。
この記録から浮かび上がるのは、偉大な学者であると同時に、教えを身をもって実践し、その真実性を確かめようとする求道者としての法然聖人の真摯な姿です。神秘的な体験をしながらも、日付や時刻を冷静に書き留めるその姿勢からは、実直で客観的な人柄がうかがえます。
道への確信 ― 善導大師との夢の対面
「(四)法然聖人御夢想記」には、聖人がご自身の進むべき道への絶対的な確信を得る、運命的な夢が記録されています。夢に現れたのは、浄土宗の教えの礎を築いた中国の高僧、善導大師でした。
夢の中で、聖人は金色の仏のような下半身を持つ僧と出会います。その僧に名を尋ねると、驚くべき答えが返ってきました。
答曰、われはこれ善導也と。
法然聖人が驚いて「なぜお越しになられたのですか」と尋ねると、善導大師は聖人の教えを称賛し、強く肯定する言葉をかけられました。
よく專修念佛のことを言。はなはだもて貴とす。ためのゆへにもて來也。
(よくぞ専修念仏(ひたすら念仏を称えること)を説いている。私はそれを大変に尊いことだと思っている。そのためにやって来たのだ。)
この夢は、法然聖人にとって、自らが広める「専修念仏」の教えが間違いなく仏の道に適ったものであるという、祖師本人からのお墨付きを得た瞬間でした。この体験が、その後の聖人の揺るぎない布教活動の大きな支えとなったことは想像に難くありません。
これらの個人的な書きつけは、法然聖人の教えが、単なる学問的な思索だけでなく、ご自身の深い修行体験と内なる確信に裏打ちされたものであることを物語っています。偉大な宗教家の人柄と、その信仰の核心に触れることができる、大変貴重な記録と言えるでしょう。