月影

日々の雑感

【探求編】ストア哲学の神は仏教の「仏性」か?―東西の賢人が見た同じ真理

私たちの「心の旅」も、いよいよ最終章を迎えます。

第1回では、日々のストレスを軽くするストア哲学の「実践的な知恵」を学びました。 第2回では、その背景にある「壮大な世界観」を探求し、皇帝アウレリウスたちが信じた「宇宙という神(ロゴス)」の姿に触れました。

今回は、古代ローマで育まれたその思想を携えて、時空を超え、遥か東方の日本へと思索の翼を広げましょう。

ストア派の「ロゴス(宇宙の理性)」と、仏教、特に空海が説いた密教の思想。全く異なる場所で生まれた二つの叡智は、果たして同じ真理を指し示しているのでしょうか?

 

東洋の知恵:「仏性」と「大日如来

 

比較を始める前に、東洋の思想を少しだけ覗いてみましょう。

まず仏教、特に大乗仏教には、「仏性(ぶっしょう)という考え方があります。これは、「すべての生きとし生けるものの中には、生まれながらにして仏に成れる可能性(仏の本性)が宿っている」という、非常に希望に満ちた教えです。

そして、この思想をさらに発展させたのが、日本の真言宗の開祖・空海です。空海にとって、宇宙そのものが「大日如来(だいにちにょらい)」という仏の身体であり、その活動(説法)そのものでした。

山も川も、草も木も、そして私たち人間も、すべてが大日如来の一部であり、その輝きの中にいる。これが空海の見た世界だったのです。

 

東西の叡智、驚くべき3つの共通点

 

この「大日如来」と、ストア派の「ロゴス」。両者を並べてみると、私たちはそこに驚くべき共通点を見出すことになります。

 

共通点①:神・仏は「宇宙そのもの」である

 

これが最大の共通点です。 ストア派の神(ロゴス)は、宇宙の外にいる創造主ではなく、宇宙の法則そのものでした。一方、空海大日如来もまた、宇宙そのものであり、森羅万象すべてを内包する存在です。

ストア派が「宇宙即神」と見たのに対し、空海は「宇宙即仏」と説きました。 表現は違えど、その根底にある「神聖なものは、この世界と一体である」という汎神論的な世界観は、見事に一致しているのです。

 

共通点②:人間の内に「神・仏の火花」が宿る

 

ストア派が「人間の理性は、宇宙的なロゴスの火花である」と考えたように、仏教も「人間は皆、内に仏性を秘めている」と教えます。

どちらの思想も、人間を単なる無力な存在とは見なしません。私たちは、大いなる全体の一部であり、その神聖な本質を自分自身の内に持っている、と。この人間観の深さは、私たちに大きな勇気を与えてくれます。

 

共通点③:実践の目的は「全体との一体化」である

 

ストア哲学が「自然(ロゴス)に従って生きる」ことを目指したように、空海密教もまた、修行を通じて自分自身が大日如来と一体であることを悟る「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を理想としました。

個人の小さな「我」を、宇宙という大きな「全体」と調和させ、一体化していく。その実践の方向性もまた、驚くほど似通っているのです。

 

違いを超えた先にあるもの

 

もちろん、両者には違いもあります。ストア派が「理性」を究極の拠り所としたのに対し、仏教は「慈悲」や「空」といった独自の概念を発展させました。実践方法も、哲学的な内省が中心のストア派に対し、密教は印を結び、真言を唱えるといった身体的な側面を持ちます。

しかし、そうした違いを超えて、私たちはそこに一つの大きな潮流を見ることができます。

それは、「真理は汝の内にある。そして、汝は広大な宇宙と共にある」という、時代を超えたメッセージです。

 

旅の終わりに

 

ストレスや不安に満ちた現代社会。私たちはつい、答えを自分の外に、新しい情報や他人の評価に求めてしまいがちです。

しかし、2000年前のローマの皇帝も、1200年前の日本の僧侶も、そして私たちも、同じ宇宙の一部であり、内なる可能性を秘めた尊い存在です。

東西の賢人たちが指し示した羅針盤は、驚くほど似ていました。それは、日々の悩みから私たちを解放し、より大きく、穏やかな視点を与えてくれる、普遍的な知恵の光です。

この三回にわたる心の旅が、あなた自身の羅針盤を見つめ直す、小さなきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。

 

参考サイト

仏性 - 新纂浄土宗大辞典

大日如来とは?真言やご利益、阿弥陀仏との関係も解説

ロゴス - Wikipedia