前回の【超入門編】では、ストレスや不安を軽くする超実践的な方法として、「自分にコントロールできることだけに集中する」というストア哲学の基本を学びましたね。
でも、なぜなのでしょう?
なぜ、自分の領域に集中することが、それほどまでに私たちの心を強く、穏やかにするのでしょうか?
その答えは、単なるテクニックの先にあります。ストア哲学者たちが持っていた、壮大で美しい「世界の見方」にこそ、その秘密は隠されているのです。
今回は、ストア哲学がなぜこれほどまでに有効なのか、その「理由」を探る旅に出ましょう。主役は、この哲学を代表する二人の賢者です。
正反対の人生を生きた二人の哲学者
一人は、絶大な権力を握るローマ帝国の皇帝、マルクス・アウレリウス。彼は、ゲルマン民族との激しい戦争の最中、凍えるような陣営のテントの中で、自分を励ますために『自省録』を書き続けました。
そしてもう一人は、そのローマ帝国で奴隷として生まれ、足が不自由だった哲学者、エピクテトス。彼は、あらゆる不自由と理不尽を経験しながらも、その知恵で多くの人々を導き、後には皇帝さえも彼の講義に耳を傾けたと言います。
皇帝と奴隷。
社会の頂点と底辺という、正反対の立場にいながら、二人は同じ真理を見つめていました。そして、その思想の核にあったのが、彼ら独自の「神」の捉え方だったのです。
宇宙こそが神(ロゴス)である
彼らが信じた「神」は、人格を持ち、天の上から私たちを見下ろすような存在(人格神;ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの神)ではありませんでした。
ストア派の哲学者たちは、この宇宙全体を一つの巨大な生命体のように捉え、その隅々まで行き渡る「神的な理性」が存在すると考えました。これを、彼らは**「ロゴス(Logos)」**と呼びます。
ロゴスとは、自然の法則であり、すべての出来事を引き起こす原因であり、宇宙全体の秩序そのものです。つまり、神=宇宙=自然=運命なのです。
マルクス・アウレリウスは、このロゴスへの絶対的な信頼を、美しい言葉で『自省録』にこう記しています。
「宇宙よ、汝に調和するものはすべて、私にも調和する。…(中略)…すべては汝から生じ、すべては汝のうちにあり、すべては汝に還っていくのだ。」(巻4-23より)
自分の身に起こる良いことも悪いことも、すべてはこの偉大な宇宙(ロゴス)の完璧な計画の一部である。彼はそう捉えることで、皇帝という重圧の中でも、心の平静を保とうとしたのです。
運命とは「名医の処方箋」である
では、病気や、大切な人との死別、裏切りといった、到底受け入れがたい「不運」はどう考えればいいのでしょうか?
ここでもアウレリウスは、見事な比喩を使っています。彼は、運命を「名医からの処方箋」だと考えました。
「医者が誰かに乗馬や冷水浴を処方するように、宇宙の自然(神)は病気や身体の障害、損失などを処方するのだ。」(巻5-8より意訳)
名医は、時に苦い薬や痛みを伴う治療を施します。しかし、それは最終的に患者を健康に導くためです。同様に、宇宙(ロゴス)が私たちに与える試練も、一見すると不幸に見えますが、それは宇宙全体の調和という、より大きな善のために必要なことなのだ、と。
この世界観に立てば、人生で起こることに「良い」「悪い」というレッテルを貼る必要がなくなります。すべては、大いなる目的の一部なのですから。
なぜ「コントロールの二分法」が有効なのか
ここまで来ると、前回の【超入門編】で学んだ「コントロールの二分法」が、単なる心のテクニックではなく、この世界観に基づいた必然的な生き方であることが見えてきます。
「コントロールできないことを受け入れる」とは、すなわち**「宇宙(ロゴス)の理性的で完璧な計画を信頼し、受け入れる」**ということなのです。
そして、「コントロールできること(自分の判断や行動)に集中する」とは、**「自分の中に宿るロゴスの一部(理性)を最大限に輝かせ、宇宙の計画に積極的に参加する」**ということに他なりません。
でも、それって結局「運命論」?
「すべてが計画通りに進む必然なのだとしたら、それはただの運命論で、何をしても無駄なのでは?」
そう感じるかもしれません。実際、ストア派の思想は「決定論」に基づいています。
しかし、それは無気力な運命論とは全く異なります。ストア派の考えを理解するために、創始者ゼノンが用いたとされる有名な**「犬と荷車の比喩」**があります。
ある犬が、荷車に綱でつながれているとします。
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荷車は、動く方向も速さも決まっています。これが**「運命(神の計画)」**です。
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犬は、私たち**「人間」**です。
この犬には、二つの選択肢があります。
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賢い選択: 荷車が進む方向を理解し、喜んでその横を一緒に歩いていく。綱はたるみ、旅は快適です。
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愚かな選択: 荷車に抵抗し、別の方向へ行こうと必死にもがく。しかし、結局は綱に引きずられ、苦しみながら同じ場所へ連れていかれる。
どちらを選んでも、犬が行き着く先(運命)は同じです。
ストア派にとって重要なのは、「運命を変えること」ではありません。それは不可能です。重要なのは、**「神によって定められた運命を、自らの意志で、理性的に受け入れ、喜んでそれに協力すること」**なのです。つまり、それは宇宙の理性に対する絶対的な『信頼』なのです。
結論:感情の主人になるための、力強い世界観
だからこそ、ストア哲学は力強いのです。
それは、小手先の気休めではありません。宇宙と自分の深いつながりを信頼し、「コントロールできない運命」と「コントロールできる自分の意志」の境界線をはっきりと引くことから生まれる、本質的な強さだからです。
それは消極的な諦観ではなく、極めて能動的で、力強い**「同意」**なのです。
次回予告:
宇宙そのものに神的な理性が宿り、私たち人間もその一部である—。
この壮大な思想、実は遠く離れた東洋にも、驚くほどよく似た考え方が存在します。それは、仏教、特に空海が日本に伝えた密教の世界観です。
最終回【探求編】では、ストア哲学の「神」と仏教の「仏性」や「大日如来」の思想が出会う、東西の叡智の邂逅(かいこう)を探求します。
どうぞお楽しみに。
参考
【超入門】ストア哲学とは?ストレスと不安が9割消える思考法 - 月影