「もっとポジティブにならなきゃ」 「自己肯定感を上げないと」 「スキルアップして、価値のある人間にならなきゃ」
いつからでしょう。私たちの周りは、絶えず「もっと頑張れ」というメッセージで溢れるようになりました。SNSを開けば、充実した誰かの日常。本屋に並ぶのは、成功するためのノウハウ。
まるで、今のままの自分は「不完全」で「価値が足りない」と、社会全体から言われているかのようです。
でも、もし。 もし、心の底から「もう、これ以上は頑張れない」と感じているとしたら。 もし、その「頑張れない自分」「ダメな自分」を、無理に変えなくてもいいとしたら。 そして、そんなあなたの「そのまま」を、まるごと抱きしめてくれる、大きな大きな存在があるとしたら。
今日は、そんな日本一「やさしい」仏教、親鸞聖人が開かれた浄土真宗の教えをご紹介させてください。これは、強くなるための教えではありません。弱いまま、救われていく教えです。ストレスだらけの戦国時代に爆発的に流行した教えでもあり、激動する現代にも通用する教えかもしれません。
すべての始まりは「どうしようもない私」という気づき
多くの教えが「心を強く持ちなさい」「正しく生きなさい」と説く中で、浄土真宗のスタート地点は、全く逆です。
それは、「ああ、自分はなんて愚かで、どうしようもない人間なのだろう」と気づくことです。
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つい、他人と比べて嫉妬してしまう。
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楽な方に流されて、やるべきことを後回しにする。
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人の親切を素直に喜べず、裏があるのではと勘ぐってしまう。
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口では立派なことを言っても、心の中は利己的な欲望でいっぱいだ。
浄土真宗では、このような人間の姿を「凡夫(ぼんぷ)」と呼びます。そして、この「凡夫である自分」から目をそらさず、「そうか、これが私なんだ」と、静かに認めることが、救いの第一歩だと説くのです。
自分を良く見せようと背伸びするのをやめる。できない自分を責めるのをやめる。ただ、弱くてダメな自分を見つめる。ここには、不思議なほどの「楽」があります。
大逆転の教え「ダメなあなた」だからこそ、救われる
では、そんな「どうしようもない私」は、どうすればいいのでしょう? ここで浄土真宗は、世界でも類を見ない、大逆転の教えを説きます。それが「悪人正機(あくにんしょうき)」です。
これは、「立派な善人よりも、自分は煩悩から逃れられない罪深い人間(悪人)だと自覚している者こそ、阿弥陀仏(あみだぶつ)の救いの、まさに中心的な対象なのだ」という意味です。
考えてみてください。お医者さんを一番必要としているのは、健康な人ではなく、重い病に苦しんでいる人ですよね。 それと同じで、阿弥陀仏という、無限の光と慈悲を持つ仏様の救いは、「私は自分の力ではどうにもなりません」と両手を挙げた人のためにこそ、差し伸べられているのです。
あなたがどんなに未熟でも、過去にどれだけの失敗をしても、今、どんなに無気力でも、阿弥陀様はすべてお見通しの上で、「その身のまま、必ず救う」と、遥か昔から誓いを立ててくださっています。
あなたの価値は、能力や成果で決まるのではありません。あなたは、ただあなたであるというだけで、絶対的な救いの光の中にいるのです。
では、「お念仏」って何?
この教えを聞くと、「じゃあ、救われるために何をすればいいの?」という疑問が湧くかもしれません。その答えが「お念仏(おねんぶつ)」、すなわち「南無阿弥陀-仏(なむあみだぶつ)」と称えることです。
しかし、ここが非常に大切なポイントです。 お念仏は、救われるための「条件」や「修行」ではありません。神様にお願い事をするような「呪文」でもありません。真言の一種と考えてもいいでしょう。
お念仏とは、
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「ああ、私はもう頑張らなくてもいいんだ」
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「こんな私のままで、救われていたんだ」
…と、阿弥陀様の大きな慈悲に気づかされた時の、安堵のため息であり、感謝の言葉なのです。 それは「救ってください」というリクエストではなく、「お任せします、ありがとうございます」というレスポンスです。私たちは、この体や世界に生かされているということを感謝するという意味があります。
頑張る人生から、感謝の人生へ
この「私はすでに救われている」という絶対的な安心感(安心立命)をいただくと、人生の見え方が変わります。
これまでは、足りない自分を埋めるために、何かを達成するために、必死に坂道を登ってきました。 これからは、どんな自分であっても大丈夫という大きなセーフティネットの上で、安心して歩んでいけばいいのです。
成功しても「おかげさま」、失敗しても「大丈夫」。 人に親切にできたら、それは自分の手柄ではなく、阿弥陀様の心が自分を通して働いてくださったから。 腹が立ったら、「ああ、また凡夫の私が出たな」と、そんな自分ごと許されていることに気づく。
もし今、あなたが人生に疲れ果て、「もう何もしたくない」「自分なんて価値がない」と感じているなら。 無理に元気を出さなくていいんです。無理に自分を好きにならなくてもいいんです。ありのままの自分を受け入れるだけです。
ただ、そっと心の中で、あるいは小さな声で、つぶやいてみませんか。
「南無阿弥陀仏」と。
それは、完璧な自分になるための呪文ではありません。 不完全な、今のあなたのまま、大きな安心に包まれるための、感謝の合言葉です。 「お任せします」と、重い荷物を下ろす、深呼吸のような言葉なのです。
参考WEBサイト
「凡夫」というのは、無名煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、臨終の一年に至るまで止まらず消えず絶えず。 | 浄土真宗 慈徳山 得蔵寺
悪人こそが救われる教え、悪人正機 | 浄土真宗 本願寺派 正敬寺
あなたまかせの年の暮 -阿弥陀さまをたよりとする一茶の素直な心- | 読むお坊さんのお話 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺)