「私たちは、どこから来たのだろう?」
この根源的な問いに、科学が新たな光を当てています。
これまで私たちが学んできたのは、古くから日本列島にいた「縄文人」と、大陸から稲作をもたらした「弥生人」が混血して現代日本人が形成されたという「二重構造モデル」でした。
しかし、最新のゲノム科学は、従来のモデルだけでは説明できない、よりダイナミックな歴史があった可能性を示しています。そのキーワードが「三重構造モデル」です。
2024年、この2つの説を象徴するような論文が相次いで発表され、専門家の間で活発な議論が巻き起こっています。この記事では、まさに"論争の最前線"に立つ2つの研究を紹介し、私たちの祖先の真の姿に迫ります。
今年、国立科学博物館で開催された特別展「古代DNA―日本人のきた道―」でもこれらの最新知見が公開され、大きな話題を呼びました。(※名古屋市科学館などへ巡回予定)
最新の研究成果を基に、私たちの祖先が「いつ、どこから」来たのか、その壮大な旅路を紐解いていきましょう。
渡来人の「二重構造」説
二重構造モデルとは、現代日本人が「先住民である縄文人」と「大陸からの渡来人」という2つの集団の混血で成立したとする説です。これをゲノムレベルで強力に裏付けるのが、キムらの2024の論文があります。
研究チームは、弥生時代の遺跡(土井ヶ浜遺跡)から出土した人骨のDNA解析を実施。その結果、弥生人、古墳人、そして現代日本人の成立過程が、「縄文関連の祖先」と「韓国人関連の祖先」という2グループの混合で最もよく説明できると結論付けました。
これは、二重構造モデルにおける「縄文人」と「渡来人」の構図に合致し、その「渡来人」の主な供給源が朝鮮半島であったことを具体的に示唆します。▼この説は、一つの大きな渡来の波を想定するもので、現在も十分な説得力を持っています。
また、この論文は以下の理由から、三重構造説に疑問を呈しています。
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渡来人の遺伝的構成: 三重構造説では、弥生時代と古墳時代で異なる集団が渡来したと仮定します。しかし、分析された土井ヶ浜弥生人は、古墳時代の人々と同様に、すでに「東アジア関連」と「北東シベリア関連」の両方の遺伝的要素を持っていました。
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混合モデルの単純化: 渡来人が持っていた両方の遺伝的要素は、現代の韓国人集団にも見られます。そのため、異なる集団が別々の時代に来たという複雑なモデルよりも、「縄文系の祖先」と、両方の要素を持つ「韓国人関連の祖先(渡来人)」という2者間の混血モデルで、シンプルかつ十分に説明できるとしています。
渡来人の三重構造説
一方、三重構造モデルは、日本人の起源をより多層的に捉えます。それは、(1) 縄文人、(2) 弥生時代の渡来人、(3) 古墳時代の渡来人、という3つの異なる集団が段階的に混血していった、とするものです。
この説を強く支持するのが、2024年のリウらの研究で、3,256人もの現代日本人ゲノムを解析したものです。
この研究の最も重要な発見は、高解像度のゲノムデータを用いることで、現代日本人が「3つの祖先コンポーネント」から構成されていることを直接的に示した点です。これは、従来の「縄文+弥生」の2グループだけでは説明しきれない、第3の祖先の存在を意味します。
この発見は、日本人の成立が複数の段階的な移住によって形成されたとする「三重構造モデル」を、ゲノムデータから強力に裏付けるものです。
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第一の波(基層集団):縄文人 古くから日本列島に住み、狩猟採集文化を築いた人々。
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第二の波:弥生時代の渡来人 朝鮮半島を経由し、水田稲作をもたらした人々。▼主に大陸の北東アジア(遼河流域など)にルーツを持つと考えられています。
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第三の波:古墳時代の渡来人 近年の古代ゲノム解析で存在が確実視されるようになった、最も新しい波。3世紀後半から7世紀にかけて大規模な移住があったと考えられています。▼彼らは東アジア(黄河流域の漢民族など)にルーツを持ち、当時の政治や文化の形成に大きく関わったとみられています。
つまり、大陸からの渡来の波は一度ではなく、弥生時代と古墳時代に、それぞれ異なるルーツを持つ人々がやってきた、というのが最新のシナリオなのです。
なぜ古墳時代に?渡来の背景にある大陸の動乱
なぜ、古墳時代にも大規模な移住があったのでしょうか。その背景には、当時の中国大陸の情勢が深く関わっていると考えられます。
3世紀から7世紀にかけての中国は、「三国時代」から「南北朝時代」へと続く大混乱の時代でした。戦乱が頻発し、多くの人々が安定を求めて大陸から離れ、難民(流民)となっていました。この時期の渡来人たちは、こうした激動の時代を背景に、新たな安住の地を求めて日本列島にやってきた人々だったのかもしれません。
ある研究では、古墳時代の人々のゲノムの約25%が、この新しい渡来人に由来する可能性も指摘されており、彼らが当時の国づくりに与えた影響の大きさがうかがえます。
ゲノムに刻まれたルーツの地域差
この「三重構造」の痕跡は、現代を生きる私たちの体にもはっきりと残っています。
東京大学の大橋順教授らの研究グループは、47都道府県の人々のゲノム情報を解析し、縄文人由来と渡来人由来のゲノム成分の比率を可視化しました。
その結果、驚くべき地域差が明らかになりました。
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渡来人由来の比率が高い:近畿、北陸、四国
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縄文人由来の比率が高い:沖縄、東北、九州
この結果は、一見すると「渡来人は朝鮮半島から九州北部に上陸した」という従来の考え方と矛盾するように思えます。上陸地点であるはずの九州北部より、列島の中央部である近畿地方の方が渡来人の影響が強いのです。
この謎について大橋教授は、「九州北部では上陸後も渡来人の人口があまり増えず、むしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか」と推測しています。
私見ですが、単に、何らかの理由で、近畿に直接船で渡来人が来たと考えてもいいかと思います。
渡来人たちは、ただ一方的に先住民と入れ替わったわけではありません。弥生時代から古墳時代にかけて、数百年から1000年という長い時間をかけて、先住の縄文人と共存し、ゆっくりと混血していったと考えられています。
まとめ:私たちのルーツは、多様性に満ちた壮大な物語
最新科学が解き明かした日本人の起源は、私たちが想像していたよりも、はるかにダイナミックで多様性に満ちたものでした。
私たちの身体には、森で狩りをした縄文人の記憶、稲作を広めた弥生時代の渡来人のたくましさ、そして新しい国づくりに貢献した古墳時代の渡来人の知恵が、すべてゲノムという形で刻み込まれているのかもしれません。
書物には残されていない日本人の歴史の序章が、私たち自身のゲノムに記されている。そう考えると、自分のルーツを探る旅が、もっと面白いものに感じられませんか?
ゲノム科学のさらなる進展が、私たちの祖先の壮大な物語を、もっと鮮やかに描き出してくれる日が楽しみでなりません。
参考WEBサイト