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日々の雑感

手放すことで見えてくる世界 その4:窮屈な社会で、心を自由にする

社会生活は、しなければならないことが多く、特に会社や学校の規則やノルマに縛られていて、窮屈な思いをします。それらの生活は、執着だらけではないかと感じます。その生活を執着を手放しながら生きるにはどう考えたら良いか。それらを受け入れつつ、手放しながら過ごすということか。それらから離れるためには、出家するしかないのでしょうか。

 

そのように感じられるのは、あなたの感受性が鋭い証拠です。そして、「受け入れつつ、手放す」という考えに至られたのは、まさに問題の核心を突いています。結論から言えば、必ずしも出家する必要はありません。禅の教えは、その「窮屈な」社会生活の真っ只中でこそ、実践され、輝くものだからです。

 

1. 「役割」を演じ、しかし「自己」と同一化しない

会社員や学生という立場は、社会における一つの「役割」です。禅的な生き方のコツは、その役割を誠実に演じること、しかし、その役割と自分の本質(自己)を完全に同一化させないことです。

 

これは、舞台役者に似ています。ノルマを達成できなくても、あなた自身の価値が損なわれるわけではありません。役割と自己との間に、一枚の薄紙ほどの「距離」を保つ意識が、心を守ります。

 

2. 「結果」への執着を、「プロセス」への集中に切り替える

窮屈さの多くは、「ノルマを達成しなければならない」といった「結果」への執着から生まれます。この執着を手放すには、意識を「未来の結果」から「今の行為(プロセス)」へとシフトさせることです。

 

「今は、目の前のお客様への一本の電話に集中しよう」と、今この瞬間にコントロールできる行為に意識を全て向けます。その行為に没頭している時、結果への不安は消え去ります。

 

3. 「変えられないもの」は受け入れ、「変えられるもの」に集中する

会社の規則など、個人の力ではどうにもならないことはたくさんあります。それに対して心の中で抵抗し続けるのは、自分で自分を苦しめているのと同じです。

 

「この会社には、こういうルールがあるのだな」と、まずは事実としてそのまま受け入れます。これは諦めではなく、無駄なエネルギーを使わないための知恵です。その上で、そのルールの中で自分に何ができるか、といった「自分がコントロール可能な範囲」に意識を集中します。

 

これはストア哲学の考え方とほとんど同じです。以下の記事をご覧ください。

【超入門】ストレスと不安がすっと軽くなる「ストア哲学」のすすめ

4. 自分への慈しみを育む(セルフコンパッション)

自分の価値を自分で認めて、自分を大事にすることをいう。自分を否定したり、過度に素晴らしいことができなといけないなど考えない。仏教では、人は仏性を持ち、尊い存在だと考えています。白隠禅師は「衆生本来仏なり」と言っています。これは、近年の心理学で『セルフコンパッション』と呼ばれる考え方にも通じます。あるがままで素晴らしいと考えることです。

 

まとめ:出家せずとも、道場は「今ここ」にある

禅において、山奥の静かな寺だけが修行の場(道場)ではありません。むしろ、規則や人間関係といったノイズに満ちた社会生活の真っ只中こそが、心を鍛えるためのこの上ない道場となります。

 

組織に属している現実を受け入れ、それによって生じる結果や評価への過度な執着を手放す。「このように、『現実を受け入れる冷静さ』と『執着を手放す心の自由』。この二つを車の両輪のように使いこなすことが、穏やかな心で社会生活を送るための鍵となります。

 

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【お読みいただくにあたって】 本記事は、仏教の教えについて筆者が学習した内容や私的な解釈を共有することを目的としています。特定の宗派の公式見解を示すものではありません。 信仰や修行に関する深い事柄や個人的なご相談については、菩提寺や信頼できる僧侶の方へお尋ねください。

 

参考WEBさいと

禅僧・伊藤東凌さんに教わった 日本一わかる「茶と禅」の関係の極意

精神科医の禅僧が語る「マインドフルネス」がいまこそ大事な理由(後編)|Attuned

心理学ワールド 87号 「あるがまま」の心理学 セルフ・コンパッションと「あるがまま」 | 日本心理学会

「衆生本来仏なり」 | 老師ブログ