前の回では、穏やかに生き切る鍵が「手放す」ことにあると述べました。しかし、「手放す」とは具体的にどうすればいいのでしょう?「こうでなければ」という執着を手放すこと?
それに、日々の生活では「したい事」と「すべき事」が対立します。この葛藤ともどう向き合えばいいのでしょうか。今回は、この「手放す」という実践を、より具体的に掘り下げていきます。
1. 「手放す」とは具体的にどうするか?
「手放す」とは、文字通り何かを投げ捨てることではなく、心の中で固く握りしめている「考え」や「期待」の力を抜くことです。具体的には、以下のようなものを手放す対象として意識すると分かりやすいでしょう。
- 結果への期待を手放す: 「こうなるはずだ」「こうなってほしい」という未来への期待です。努力はしても、結果は自分の思い通りにならないのが世の常です。その結果に一喜一憂する心を、そっと手放します。
- 「正しさ」へのこだわりを手放す: 「自分は正しい、相手は間違っている」という判断です。このこだわりは怒りや対立を生みます。自分の価値観は持ちつつ、他者のそれもただ「そういうものか」と受け止め、自分の正しさを証明しようとするエネルギーを手放します。
- 過去への後悔や未来への不安を手放す: 私たちの苦しみの多くは、すでに終わった過去か、まだ来ていない未来に心が飛んでいる時に生まれます。その心の「時間旅行」に気づき、「今、ここ」に意識を戻すこと。これが手放す実践です。
- 自己イメージを手放す:「私はこういう人間だ」「こう見られたい」というセルフイメージです。そのイメージを守ろうとすると、心が不自由になります。良い自分も、ダメな自分も、その時々のありのままの自分をただ認めます。
具体的な実践方法は、「気づいて、力を抜く」の繰り返しです。 例えば、仕事で「失敗したらどうしよう」という不安に襲われたとします。
- まず、「あ、今、未来を不安に思っているな」と自分の心の状態に気づきます。
- その不安を無理に消そうとせず、「そうか、不安なんだな」とただ認めます。
- そして、意識を目の前のキーボードを打つ指先や、自分の呼吸、お尻が椅子に触れている感覚など、「今、ここ」にある身体の感覚にそっと戻します。
これを何度も何度も、根気よく繰り返します。これが「手放す」ための具体的な稽古です。
2. 「これでなければならない」という執着から離れることと同じか?
まさしくそれと同じです。「手放す」ことの核心は、「こうでなければならない」という執着(固定観念)から自由になることです。この執着は、心の中に理想を作り上げ、現実がそれにそぐわない時に苦しみを生み出します。
氷と水に例えるなら、執着は「氷」です。硬く、融通が利きません。手放した心は「水」です。決まった形を持たず、しなやかに流れていきます。氷のような自分の心を水にする。「こうでなければならない」という氷を、ただの「水」に戻してあげる。それが手放すということです。
3. 今すべきことは、「したい事」か「すべき事」か?
これもまた、多くの人が抱える根源的な問いです。禅の答えは、「どちらか一方を選べ」ではありません。「すべき事」を、あたかも「したい事」であるかのように行うことで、両者の対立を乗り越えようとします。
禅的な解決は、「今、目の前にある『すべき事』に、全身全霊でなりきってしまう」という道です。
例えば、面倒な皿洗いという「すべき事」を、「ただ、皿を洗う」という行為そのものに没入してみる。その時、「皿を洗いたくない自分」はどこかへ消え、「すべき事」と「今している事」が完全に一致し、そこに「したい・したくない」という対立が入り込む余地がなくなります。
この状態こそが「生き切っている」状態であり、そこには不思議なほどの静けさと満足感が生まれるのです。
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