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日々の雑感

戒律なんて糞くらえ!愛に生きた禅僧・一休、盲目の美女と歩んだ破天荒な恋

「屏風の虎退治」や「このはしわたるべからず」。 アニメでおなじみの、キュートなとんち小僧「一休さん」。しかし、私たちの知るその姿は、彼の生涯のほんの一面に過ぎません。

前回の記事では、お釈迦様を「いたずら者」と呼び、仏法を「石の髭」と喝破した、超型破りな禅僧としての一休宗純(いっきゅうそうじゅん)の姿をご紹介しました。

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今回はさらに深く、彼の「人間臭さ」の核心に迫ります。 テーマは「恋」。

70歳を過ぎた老境の一休が、すべてを懸けて愛した一人の女性がいました。仏教の厳しい戒律さえも「糞くらえ」とばかりに、自らの愛を貫き通した彼の破天荒な恋物語をのぞいてみましょう。

 

77歳の禅僧、盲目の美女に恋をする

 

その運命の出会いは、一休が77歳の頃。 当時の平均寿命をはるかに超え、高僧として誰もが敬う存在であった彼の前に、一人の女性が現れます。

彼女の名前は、森女(しんじょ)

盲目の旅芸人、あるいは一休の侍女であったとも言われる彼女は、目が見えない代わりに、非常に鋭い感性と美しい声、そして豊かな心を持っていたと伝わります。

老いた禅僧と、盲目の美女。 二人は瞬く間に恋に落ち、一休は彼女の存在を隠すどころか、その愛を赤裸々に、情熱的に漢詩集『狂雲集(きょううんしゅう)』に書き記していったのです。

 

「我が恋人の素晴らしさよ!」赤裸々な愛の詩

 

僧侶の女色は、当時、最も厳しい禁忌(タブー)の一つ。しかし一休は、世間の目や仏教界の批判など全く意に介しませんでした。 『狂雲集』には、森女への愛をうたった、実に官能的でストレートな詩が数多く残されています。

 

「森が美人の名は、もとより森と曰う。美貌はあたかも楊貴妃の如し。」

「森という名の、我が恋人。その美しさは、かの楊貴妃のようだ」と、その美貌をストレートに絶賛。さらに、二人の夜の営みさえも、彼は芸術へと昇華させます。

 

「鸞鳳(らんほう)枕に交わりて、情は深く、語は濃(こま)やかなり。願わくは、来世もまた同じ契りを結ばんことを。」

(現代語訳:一対の鳳凰のように枕を交わす二人の情は深く、言葉は濃密に絡み合う。来世があるならば、そこでもまた同じように愛し合いたいものだ。)

僧侶が詠んだとは到底思えない、情熱的で官能的な詩です。一休は、森女と愛し合う法悦の境地を「仏法よりも素晴らしい」とまで言い切りました。

 

なぜ一休は、破戒の恋に生きたのか?

 

なぜ彼は、高僧としての名声も地位も投げ打つような「破戒」の道を選んだのでしょうか。 それは、彼が生涯をかけて追求した「本物」の教えと深く関わっています。

 

一休は、形式ばかりを重んじ、内実の伴わない権威や建前を、生涯にわたって嫌い抜きました。 口先だけで立派な教えを説きながら、裏では欲望にまみれている僧侶たち。美しく飾り立てられた経典や仏像。 そうした「偽物」を徹底的に批判した彼にとって、人間が持つ自然な感情、つまり食欲や性欲、そして誰かを愛おしいと思う心こそが、ごまかしようのない「真実」だったのです。

 

森女を愛することは、彼にとって破戒でも堕落でもありませんでした。 むしろ、人間の本質(本能)から目をそらさず、思慮分別を捨てて、ありのままの自分を生き抜くことこそが、生きた仏法の実践そのものだったのです。

頭でっかちな理屈や、上辺だけの戒律よりも、目の前にいる愛する人の肌のぬくもり、美しい声、その存在そのものに、彼は宇宙の真理を見出していたのかもしれません。

 

まとめ:不完全で、だからこそ美しい「人間・一休」

 

一休宗純恋物語は、単なる高僧のスキャンダルではありません。 それは、彼の思想を命がけで体現した、究極の「人間賛歌」と言えるでしょう。

完璧な聖人君子ではない。 私たちと同じように悩み、迷い、そして燃えるように恋をする。 そんな不完全で、どこまでも人間臭い姿こそが、時代を超えて私たちを惹きつけてやまない「本当の一休さん」の魅力なのです。

偽りのない自分の心に、あなたはまっすぐ向き合えていますか? 一休の破天荒な恋は、現代を生きる私たちにも、そう鋭く問いかけているようです。

 

参考文献

一休 その破戒と風狂 栗田 勇 (祥伝社

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一休宗純 狂雲集 柳田聖山 (中央公論新社

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