「捨てる」という生き方を、極限まで突き詰めた人物がいます。鎌倉時代の僧侶であり、時宗の開祖でもある一遍上人(いっぺんしょうにん)。彼は「捨聖(すてひじり)」と呼ばれ、その生き様は今なお多くの人々を魅了します。
そしてもう一人、禅の思想を過激なまでに体現した人物がいます。室町時代の破戒僧、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。彼は、あらゆるものを「偽り」だと断じ、経典や仏、常識や道徳さえも捨て去ることを、その身をもって説きました。
両者は驚くほど似ていながら、その最後に見出した境地は、光と影、あるいは「神聖なる躍動」と「人間臭い躍動」のように、鮮やかな対極をなしています。今日は、この二つの「捨てる」哲学の奥深くへと、足を踏み入れてみましょう。
驚くほど似ている「捨てる」への道
まず、二人がどれほど似ているかを見ていきましょう。「捨聖」一遍が捨てたものは、風狂の禅僧・一休が否定したものと、驚くほど重なります。
● 知恵と自我を捨てる
一遍は「知恵の目を開きたいなら、まず文字の目を閉じよ」と語り、自ら仏教の書物を焼き捨てました。これは、一休が「経文は尻を拭く紙にもならぬ」と喝破し、寒い日にはお堂の木仏を燃やして暖をとったという逸話と瓜二つです。
知識や形骸化した信仰に価値はないとし、「信じる心」さえも捨てようとした一遍の思想は、「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人を まよはすかな」とうたい、仏陀そのものさえ突き放した一休の考えと深く共鳴します。
● 善悪の分別を捨てる
一遍は、善人か悪人か、信者か否かを一切問わず、出会うすべての人に「南無阿弥陀仏」のお札を配り続けました。これは、一休が飲酒・肉食・女色といった戒律を公然と破り、偽善的な高僧を「悟り臭い」と嫌い抜いた姿勢と、まったく同じ方向を向いています。人間が作り出した善悪や清濁の基準という「偽り」を超えようとする視点です。
● 世俗の執着を捨てる
家も財産も捨て、生涯を旅に生きた一遍の「遊行(ゆぎょう)」。それは、寺に安住せず、権威を嫌い、市井のただ中で人間臭く生きた一休の精神性と、表裏一体の関係にあると言えるでしょう。
頂上で分かれる道――「神聖」と「人間」の対極
これほど似ている両者ですが、すべてを捨て去った「その後」のあり方が、決定的に異なります。この違いは、自らの力で悟りを目指す「自力」の一休と、阿弥陀仏の力にすべてを委ねる「他力」の一遍という、根本的な思想の違いから生まれます。
◆ 「動」の一遍――神聖なる躍動
一遍の生き方は、絶え間ない「行い」そのものでした。彼の生涯は、「遊行(ひたすら歩く)」「賦算(お札を配り続ける)」「踊り念仏(一心に踊り狂う)」といった、熱狂的とも言えるダイナミックな「動」に満ちています。
阿弥陀仏という絶対的な存在にすべてを委ねた彼は、「道そのもの」となって生涯動き続けました。一遍にとって、身体の躍動は、救済へと向かう神聖な祈りそのものだったのです。
◆ 「動」の一休――人間臭い躍動
一方、一休の生き方もまた、徹底的な「動」に貫かれています。しかし、それは仏へ向かうものではありませんでした。彼の「動」とは、詩をうたい、酒を飲み、愛を交わし、権威をからかうという、徹底的に人間的で、世俗的な「動」でした。
悟りを開いた後も静かに座禅するのではなく、むしろ人々のいる市場や酒場へと繰り出していきました。偽善に満ちた世界を挑発し、人間の欲望をありのままに肯定する彼の「動」は、悟りが人間と共にあることを示すための、生々しい実践だったのです。
まとめ:頂上から、神と舞うか、人と舞うか
一遍と一休は、まるで同じ山の頂を目指した登山家のようです。
両者とも、「自我」や「知性」、「人間的な分別」といった重い荷物を道中で次々と捨て去り、ついに何も持たずに頂上へとたどり着きました。
しかし、その頂上で二人の道は分かれます。
一遍は、その頂上から阿弥陀仏の名を叫びながら虚空へと身を躍らせ、落ちていくことすらも歓喜に満ちた「神聖な舞」へと変えてしまいました。
一休は、その頂上から俗世間を見下ろし、ニヤリと笑うと、麓の酒場へと駆け下りていきました。そして、「こんなものに何の価値があるか」と歌いながら、人々と共に、猥雑でありながら生命力に満ちた「人間の舞」を踊り始めたのです。
どちらも、自己という名の地面から完全に自由になった「聖者」です。
しかし、その最後の答えは、究極の「他力の動」と、究極の「自力の動」という、鮮やかな対極を示しているのです。
「一遍と一休の捨てるという二つの道」という記事で捨てるきっかけを書いていますのでみて下さい。
今日の一句
絶望し つかむ気持ちを 捨ててこそ 他力あらわれ もろ人救う
参考文献