歴史上の人物である一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、実はとても型破りな禅僧でした。
彼の奇行の中でも特に有名なのが、杖の先に人間の骸骨(!)をくくりつけ、町を練り歩いたという逸話です。人々が「おめでとう!」と新年を祝う正月の真っ只中、一休さんはその不気味な杖を掲げ、「ご用心、ご用心」と呼びかけたと言います。
一体なぜ、そんなショッキングなことをしたのでしょうか?
彼の行動に込められた、二つの深いメッセージを紐解いてみましょう。
解釈1:「いつか死ぬ」という事実が、「今」を輝かせる
一つ目のメッセージは、「人間は誰でもいつか必ず死ぬ。その事実から目を背けるな」という、強烈な警告です。
「人が死ぬなんて当たり前じゃないか」と思いますよね。でも、考えてみてください。仕事や勉強、日々の楽しさに追われていると、自分自身の「死」をどこか他人事のように感じていませんか?
お正月、誰もが新しい年の「生」に浮かれている時に、あえて「死」の象徴である骸骨を突きつける。これは、一休さん流のショック療法です。彼は、こんな有名な歌も残しています。
門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
(意訳:新年を祝う門松も、見方を変えれば死への道のりを示す道しるべ。めでたいようでもあり、実はそうでもないのだよ)
ここで、鋭い方はこう思うかもしれません。
「禅の教えは『今、この瞬間を生きよ。過去を悔やまず、未来を心配するな』ではなかったか? 死という未来をことさらに意識させるのは、教えと矛盾しているのではないか?」
これは非常に重要な問いです。しかし、結論から言うと、矛盾はありません。
一休さんにとって、「死を意識すること」こそが、「今を真に生きる」ための最も強力なスイッチだったのです。
私たちは、時間が無限にあると錯覚しているからこそ、「今」を無駄遣いしてしまいます。しかし、「自分の命には限りがある」という事実を腹の底から実感したとき、何でもない日常が、二度とない奇跡的な瞬間に見えてきます。
一休さんが突きつけたのは、「死を恐れて生きろ」というメッセージではありません。「どうせ死ぬのだから、うわべのことに心を奪われず、この一瞬一瞬を本気で味わい尽くせ!」という、彼の愛ある「喝(カツ!)」なのです。
解釈2:その美しさ、本物? 皮一枚下の「真実」を見よ
もう一つのメッセージは、**「見た目や肩書といった、うわべのものに騙されるな」**という、本質を問う教えです。
どんなに美しい人も、どんなに偉い人も、その皮膚を一枚めくれば、皆同じ「骸骨」です。一休さんは、私たちが心を奪われがちな外見や社会的地位、財産といったものが、いかに仮そめのものであるかを見せつけました。
これを象徴する、別の面白い逸話があります。
ある日、みすぼらしい格好で裕福な信者の家を訪ねた一休さんは、門前払いされます。そこで彼は、立派な袈裟(けさ)に着替えて出直すと、今度は大歓迎されました。
しかし一休さんは、ご馳走に手もつけず、おもろむろに自分の袈裟の袖をつまみ、「さあ、お食べなさい」と勧めたのです。
「このご馳走は、わしではなく、この立派な袈裟に対してのものだろう。ならば、君が食べるべきだ」
痛烈な皮肉ですよね!
彼は、人々が見た目に惑わされ、その人の「本質」を見ていないことを、行動で示したのです。現代で言えば、SNSのフォロワー数や「いいね!」の数、ブランド品、役職などで人を判断してしまいがちな私たちにも、グサリと刺さるメッセージではないでしょうか。
結論:骸骨が突きつける、究極の「問い」
「死を忘れるな」と「見た目に騙されるな」。
一休さんが本当に伝えたかったことは何だったのでしょうか?
実は、この二つのメッセージは、コインの裏表のように、分かちがたく結びついています。
なぜ、見た目や肩書に騙されてはいけないのか?
その答えは、「それらはすべて、『死』によって無に帰してしまう、はかなく虚しいものだから」です。
一休さんのすべての行動の根底には、この「死」という絶対的な視点がありました。「死」というフィルターを通して世界を見れば、この世の権威や名声、美醜といった価値がいかにちっぽけで、滑稽に見えることか。
彼が骸骨を掲げて伝えたかったのは、どちらか一方ではありません。
「死を自覚しなさい(解釈1)。そうすれば、うわべの価値に惑わされず、物事の本質が見えてくるはずだ(解釈2)。それこそが、本当の意味で『今、この瞬間を生きる』ということなのだ!」
これこそが、一休さんが私たちに投げかけた、時代を超える力強いメッセージなのです。それはまるで、論理や常識を打ち破り、私たちに本質を直接突きつけてくる、臨済宗(りんざいしゅう ※一休が属した宗派)ならではの厳しい禅問答(公案)のようです。
日々の忙しさに追われる私たちですが、たまには立ち止まって、この骸骨の問いかけに耳を傾けてみるのも良いかもしれませんね。
今日の一句
一休さん 骸骨を見せ 世の無常 身に分からせて 真実(まこと)教う
参考文献