前回紹介しました「親鸞の世界」という本に以下のように書かれてあります。引用部分です。
『親鸞聖人はその自利・利他という言葉の意味がわからなかった。』
『曇鸞大師の『往生論註』の「おのずから仏をして言わば、宜しく利他と言うべし。おのずから衆生をして言わば、宜しく他利と言うべし。いま将に仏力を談ぜんとす、このゆえに利他をもってこれを言う」(聖典一九四頁)。こういうふうに自利・利他という言葉は仏の本願力回向ということをあらわすところの言葉です』
そのことは、以下のような和讃を読むとよくわかります。
天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまわずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし
訳
天親菩薩の尊い教えを、曇鸞(どんらん)大師が説き広めてくださらなかったならば、阿弥陀仏の他力の広大な尊いはたらき(本願の救い)の信心とお念仏の道理を、私はどうして悟ることができただろうか。
解釈
この和讃は、親鸞聖人が自らの信仰の根本に、曇鸞大師の教えがあったことを告白した感謝の言葉です。
主なポイント:
「天親菩薩のみこと」
→ 浄土宗義の基礎となる『浄土論』を書いた天親(世親)の教え。
「鸞師ときのべたまわずは」
→ しかし、その教えの深意を明らかにし、真実の道として説いてくれたのは曇鸞大師である、という敬意。
「他力広大威徳の心行」
→ 阿弥陀仏の救いのはたらき=「本願他力」によって私たちが得られる信心と行。
「いかでかさとらまし」
→ もし鸞師の導きがなければ、私はその本願の心(信心・お念仏)を悟ることなどできなかった、という強い感慨。
親鸞聖人が、ご自分の名前に曇鸞の鸞という字を使われたのはこういう意味であったかと感動しました。
そこで、自利利他について調べてみました。言葉の意味は以下のようです。
■ 自利(じり)
意味:自分の利益や幸福を得ること。
仏教では「自ら悟りを得る」「自分を高める」ことも含まれます。
例えば、自分の修行を深める、知識を得る、心を安定させることなども「自利」にあたります。
ただし、単なる自己中心的な利益追求とは異なり、「真の自利」は他者を害さず、調和を目指します。
■ 利他(りた)
意味:他人のために行動し、他人の幸福を願い、助けること。
人を思いやり、困っている人を助けたり、社会に貢献したりする行為が「利他」です。
仏教では、菩薩(ぼさつ)は「自利利他円満(じりりたえんまん)」を理想とします。つまり、自分も悟りに向かいながら、他者をも救う存在です。
■ 自利と利他の関係
仏教では 「自利なくして利他なし、利他なくして自利なし」 とも言われます。自分が満たされてこそ他人に優しくできるし、他人の幸せを願うことで自分の心も豊かになる、という相互関係にあります。
親鸞聖人は和讃では他力という言葉をたくさん使われています。しかし経典である教行信証では他力という言葉を使わず利他と書かれてあるそうです。この理由は、次の引用部分にあります。
『ことに、「阿含経」などの教えでは〝他によってはならん〟と。きびしくいましめている。法に依り、自己に依るべきものでありまして、決して他に依ってはならんときびしくいうてあります。』
御釈迦様が、亡くなる時に自灯明法灯明と言ったことが影響しているようです。
今日の一句
自利利他と心の中に宿り来る 仏の誓い我が身に満ちる