空海が真言宗を始めた年、平安京を激震が襲います。薬子の変(くすこのへん)が起こりました。これは、平安時代初期の810年に起こった政変です。奈良平城京から京都平安京に遷都して16年しか経っていませんでした。
概要:
嵯峨天皇の時代、すでに退位していた前天皇・平城上皇(へいぜいじょうこう)が、政治の実権を取り戻そうとして起こした事件です。平城上皇は藤原薬子(ふじわらのくすこ)という側近の女性とともに、再び都を奈良に戻そうと画策しました。
結果:
嵯峨天皇は素早く対応し、軍を動かして反乱を鎮圧。薬子は自害し、平城上皇は出家して政治から退きました。
意義:
この事件により、天皇の退位後の政治介入(上皇の政治関与)を抑える契機となり、嵯峨天皇の中央集権的な政治体制が強まりました。
平城天皇の心情をあらわす和歌を紹介します。
ふるさとと なりにし奈良の 都にも 色はかはらず 花は咲きけり(古今和歌集 巻第二 春歌下 90)
* 現代語訳:
今ではもう古びた都となってしまったここ奈良にも、昔と少しも変わらぬ色で花は咲き誇っていることだなあ。
* 解釈:
この歌は、大同4年(809年)に病により皇太弟の賀美能親王(嵯峨天皇)に譲位し、同年12月に平城旧京の故右大臣中臣清麻呂宅に入御された後に詠まれたものと考えられます。
「色はかはらず 花は咲きけり」という句には、自身の目まぐるしい運命――皇太子時代の苦悩、即位と新政、病と譲位、そして薬子との再会と深まる関係――とは対照的に、自然界の変わらぬ営みへの深い感慨が込められています。それは、自身の人生の激しさや儚さを、変わらぬ花の美しさに見出すことで得られる一種の慰めであったかもしれませんし、あるいは、これから平城京を拠点として新たな動き(二所朝廷、平城遷都の試み)を起こそうとする複雑な胸中を、変わらぬ故郷の風景に重ねていたのかもしれません。
以下の二首は、平城天皇作と言われています。
萩の露 玉にぬかむと とれば消けぬ よし見む人は 枝ながら見よ(古今和歌集 巻第四 秋歌上 222)
* 現代語訳:
萩の葉に置いた美しい露を、まるで輝く玉のようだと思って手で包み込もうとすると、あっけなく消えてしまった。まあよいのだ、本当にこの儚くも美しい露の風情を理解し鑑賞したいと思う人は、手に取ろうなどとせず、枝についたありのままの姿で見るのがよいだろう。
* 解釈:
平城天皇作と伝わるこの歌は、繊細で消えやすい露の美しさと、それを所有しようとすることの愚かさを詠んでいます。天皇ご自身の経歴に照らし合わせると、この歌には深い寓意が込められている可能性があります。
例えば、「玉にぬかむととれば消けぬ」露は、天皇が追い求めた様々なもの――確固たる権力、藤原薬子との愛、あるいは健康――の儚さの象徴と捉えられます。特に薬子との関係は、桓武天皇によって一度引き裂かれ、即位後にようやく取り戻したものの、最終的には薬子の変における彼女の自害という形で永遠に失われました。寵愛し、その手に留め置こうとしたものが、結果として悲劇的な結末を迎えた経験は、この歌の「とれば消けぬ」という句と痛切に響き合います。
「よし見む人は枝ながら見よ」という諦観にも似た悟りは、無理に所有しようとせず、あるがままの姿を愛でることの境地を示唆しています。これは、多くのものを求め、そして失ってきた天皇が、晩年に空海から灌頂を受けるなど仏道に帰依した精神的遍歴とも無縁ではないかもしれません。
龍田河 もみぢみだれて 流るめり わたらば錦 なかや絶えなむ(古今和歌集 巻第五 秋歌下 283)
* 現代語訳:
龍田川には、錦織物のように美しい紅葉が散り乱れて激しく流れているようだ。もし私がこの川を渡って、この錦のような流れが、途中で無残にも途絶えてしまうことになるのだろうか。
* 解釈:
平城天皇作と伝わるこの歌は、薬子の変における天皇の心情を色濃く反映していると解釈されることが多い一首です。
弘仁元年(810年)九月、平城への遷都を強行しようとし、嵯峨天皇が薬子の官位を剥奪したことに怒り、薬子と共に東国へ向けて兵を発しようとした緊迫した状況が背景にあると考えられます。
「龍田河もみぢみだれて流るめり」という描写は、単なる秋の美しい風景ではなく、当時の混乱した政情、特に平城上皇側と嵯峨天皇側の対立が激化し、事態が一触即発の状態であったことを暗示しているかのようです。「みだれて流る」という言葉には、制御不能な状況への不安や焦燥感が読み取れます。
そして「わたらば錦なかや絶えなむ」という句は、まさに天皇の重大な決断――「龍田川を渡る」すなわち平城京を出て東国へ向かい、嵯峨天皇に対抗するという軍事行動を起こせば――その結果として、「錦」で象徴される自らの権威、計画、あるいは薬子との未来、守ろうとした美しいもの全てが「なかや絶えなむ」(途中で途絶えてしまうのではないだろうか、いや、きっと途絶えてしまうだろう)という強い危惧と絶望的な予感を表現しています。
「錦」は、紅葉の美しさの比喩であると同時に、平城上皇側が築き上げようとした権勢や理想、あるいは失われつつある華やかな過去の象徴とも解釈できます。それを「渡る」ことで自ら断ち切ってしまうかもしれないという葛藤は、まさに薬子の変の渦中にあった平城天皇の苦悩そのものであったと言えるでしょう。この歌には、華麗な言葉の裏に、破局へと向かう運命を予感しつつも、行動を起こさざるを得なかった天皇の悲壮な決意と深い絶望が込められていると解釈できます。
在原業平は、平城天皇の孫です。以下の和歌は龍田河を見て、祖父のことを思いながら歌ったのかもしれません。
ちはやぶる神世もきかず龍田河唐紅に水くくるとは( 古今和歌集 巻第五 秋歌下 294)
* 現代語訳:
不思議なことが起こっていた神代の昔でさえ聞いたことがない。この龍田川が、見事な唐紅色の絞り染めのように、水面を紅葉で染め上げているとは。
今日の一句
平安の都へ移り 遥かなる奈良の都は 寺のみ残る