月影

日々の雑感

良寛和尚に学ぶシンプルライフ。「子供と遊ぶ僧侶」の生涯と心に響く名歌

ストレスの多い現代社会に、少し疲れていませんか? もしそうなら、江戸時代に、まるでお手本のような「シンプルライフ」を送った一人の禅僧の物語に、少しだけ耳を傾けてみてください。

そのお坊さんの名は、良寛(りょうかん)。 偉いお坊さんでありながらお寺を持たず、いつもニコニコと子供たちと手まりで遊び、その無欲で慈愛に満ちた生き方は、今も多くの人の心を惹きつけてやみません。

この記事では、そんな良寛さんの温かい生涯と、彼の心を映し出す素朴で美しい和歌の数々をご紹介します。

 

良寛さんとは、どんな人物か?

 

良寛(1758年~1831年)は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶です。現在の新潟県出雲崎町の裕福な名主の家に生まれましたが、18歳で出家。厳しい禅の修行を20年以上積んだ後、故郷の越後に戻ります。

しかし、彼は立派な寺に住むことを選ばず、山中の小さな庵(いおり)に暮らし、托鉢(たくはつ:家々を回って食を乞う修行)で得たわずかな糧で生活しました。 その生涯は、名声や財産を一切求めず、自然を愛し、村人と親しみ、とりわけ子供たちと無邪気に遊ぶことに喜びを見出す、まさに「無一物」の禅僧でした。

 

良寛さんの心を映す、4つの名歌

 

彼の飾らない人柄は、技巧にこだわらない素朴な和歌に、実によく表れています。

 

1.子供と遊ぶ、無邪気な心

 

この里に 手まりつきつつ 子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし

(現代語訳:この里で、子供たちと一緒に手まりをつきながら遊んでいる。こんなに楽しい春の一日は、いっそ暮れないで、ずっと続けばいいのになあ。)

良寛さんといえば、子供たちと遊ぶ姿。この歌には、その屈託のない喜びと、永遠に続いてほしいと願うほどの愛おしい気持ちが満ち溢れています。

 

2.自然を愛でる、繊細な心

 

春がすみ 立ちにし日より 山川に 心は遠く なりにけるかな

(現代語訳:春霞が立ち始めたあの日から、私の心はもう俗世から遠く離れて、美しい山や川の情景にばかり向かってしまうよ。)

良寛万葉集を愛し、自然の歌をたくさん詠みました。春霞の風景に、心がふわりと浮き立つような、繊細な感性が伝わってきます。

 

3.苦難を静かに受け入れる、強い心

 

良寛が生きた時代、故郷の越後で大きな地震が起こり、多くの人が犠牲になりました。彼はまず、深い悲しみを歌に詠みます。

うちつけに 死なば死なずに 永らえて かかる憂きめを 見るがわびしさ

(現代語訳:いっそあの時、出し抜けに死んでしまえばよかった。生き永らえて、こんなに辛い目にあうなんて、本当に悲しいことだ。)

この深い悲しみを経験した上で、知人に宛てた手紙の中で、有名な次の言葉を記しています。

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是れ災難をのがるる妙法にて候」

(現代語訳:災難にあう時には、なすすべもなく災難にあうのがよい。死ぬ時には、ただ死ぬのがよい。これこそが、災難から逃れる唯一の素晴らしい方法です。)

これは、単なる諦めではありません。人間の力ではどうしようもない現実を、ありのままに、静かに受け入れる。それこそが、究極の心の平安に繋がるという、良寛の深い覚悟を示しています。

 

4.生と死を達観する、禅の心

 

良寛は、その生涯を終える時、次のような辞世の句を残しました。

うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ

一枚の紅葉が、ひらひらと舞い落ちる時、私たちに裏を見せたり、表を見せたりするように。人生も、良い面(おもて)と悪い面(うら)の両方があって当たり前。そのすべてを見せ尽くして、やがて自然に還っていくのだ。 そんな、生と死を大きく捉える、穏やかで美しい世界観が凝縮された一句です。

 

まとめ:良寛さんが現代に教えてくれること

 

良寛さんの生き方や作品は、夏目漱石与謝野晶子といった文人にも大きな影響を与え、時代を超えて愛され続けています。

それは、彼の生き方が、多くの情報や物、人間関係に疲れがちな現代の私たちに、「もっとシンプルでいいんだよ」「足るを知る心にこそ、本当の豊かさがあるんだよ」と、優しく語りかけてくれるからかもしれません。

時には立ち止まり、良寛さんの素朴な言葉に触れてみる。それだけで、少しだけ心が軽くなるような気がしませんか。

 

今日の一句

冬朝の真紅の太陽おおらかに人のいとなみ優しく照らす