一休さんは蓮如に誘われて「宗祖親鸞聖人の二百回忌」に出席しました。その際に、詠まれたものが以下の和歌です。「末世相応のこゝろを」と題されてます。
襟巻のあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり
訳
暖かそうな襟巻きをした黒衣の僧侶。この人の説く教えは、まさに天下一だ。
解説
一休宗純がこの後に親鸞の絵図を蓮如から贈られました。また、浄土真宗にも造詣が深かったようです。ただ、禅宗から離れたわけだはありません。この短歌は一休特有のユーモアを交えながらも、親鸞や浄土真宗への好意的な評価を表現していると解釈できます。一休の心の奥底には、親鸞の教えに対する尊敬や共感があったと考えられます。
前書きのところ。「末世(まっせ)」は仏教用語で、仏法が衰退し、道徳が乱れる時代を指します。「相応のこころ」は、その末世において自分の行動や心構えをどう持つべきか、という問いかけや姿勢を示している可能性があります。
1. 「襟巻のあたたかそうな黒坊主」
• 「あたたかそう」という表現には、見た目だけではなく、その存在や教えが持つ「ぬくもり」を表しているとも解釈できます。
• 親鸞の教えは、多くの人々に救いと安心感を与えるものであり、その慈悲深さを象徴していると捉えられます。
・親鸞は追放以降僧侶ではなくなっていました。そこで、僧侶としての清貧や修行の厳しさがなく安楽な暮らしをしている姿への皮肉が込められているかもしれません。
2. 「こやつが法は天下一なり」
• 親鸞の説いた浄土真宗の教えが、末法の世においていかに人々に合った教えであるかを一休なりに認めています。
• 一休特有の軽妙な言葉遣い(「こやつ」など)が含まれていますが、そこに皮肉は薄く、むしろ敬意を込めた親しみが感じられます。
3. 蓮如との関係
• 一休と蓮如にはいくつかのエピソードが残っています。一休は、禅宗と浄土真宗という異なる宗派の教えにあまりこだわらなかったようです。自分にとって真理であるものを選び取ったようです。
極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし
上杉謙信(脚注)の辞世の句
現代語訳
極楽も地獄も、その先のことは有明の月のように、澄みきった心には何の迷いも曇りもない。
解釈
この和歌には、上杉謙信の澄み渡った精神性と仏教的な悟りが表れています。
「極楽」や「地獄」というのは、生死や善悪の結末を象徴していますが、謙信はそれにとらわれることなく、自らの「心」が清らかであれば何も恐れることはない、という確信を持っています。
「有明の月」は、夜明け前の澄んだ空に浮かぶ月を意味し、純粋で曇りのない心を象徴しています。この月に「懸かる雲なし」と続けることで、謙信は自らの心が迷いや煩悩によって曇らない状態、つまり完全に悟りきった境地にあることを表現しています。
仏教的には、極楽も地獄も人の心の在り方によって決まるものであり、心が清浄であればどちらにも縛られず、自由であるという考え方がこの和歌に込められています。
今日の一句
真言は仏と一体喜びで念仏もまた機法一体
脚注
上杉謙信(1530-1578)は、戦国時代の武将で越後国(現在の新潟県)の守護代長尾家に生まれますが、後に上杉家の養子となり「上杉謙信」と名乗る。名将として名高く、「軍神」「越後の龍」と称される。関東管領として北条氏、武田信玄などと戦い、「川中島の戦い」での活躍が有名。
上杉謙信は、若くして禅宗の教えに触れ、後に毘沙門天を深く信仰するようになりました。「毘沙門天の化身」と称され、自らの旗印に毘沙門天を掲げ、戦の前には祈りを捧げることもしています。浄土宗の保護を行いました。晩年には真言宗の教えに帰依したようです。