月影

日々の雑感

永遠と刹那 - 三人の歌人が見つめた生

五十年ひたすら妻の墓洗う
永田嘉七

五十年前に亡くなった妻の墓を、ひたすら洗い続けてきたという作者の深い追憶の念が伝わってきます。一心に墓を洗う様子が目に浮かび、胸を打たれます。どのような気持ちで洗ったのかの解釈は、読む人ごとに違うかもしれません。ひたすらという言葉が、良い気がします。


母を知らぬ我に母なし五十年 海に降る雪降りながら消ゆ
永田和宏


幼い頃に母を亡くした息子さんが、五十年経ってようやく母を歌に詠むことができたという感慨深い歌です。五十年という歳月は、振り返ってみればあっという間だったという心情が表現されているように感じます。海に降る雪が、素晴らしいですね。陸上であれば積もる雪が、海では消えてしまう。無常感がとても強く、あはれを感じます。

上記の2句は、河野裕子さんの夫とそのお父さんが、同時期に歌ったもののようで、河野さんが講演で述べてるのを見て知りました。河野さんの講演内容は塔短歌会の河野裕子講演「作歌四十余年」に詳しく記されています。永田さんの思いはこの中に詳しく書いてあります。

河野裕子さんの次の歌も人生の無常とあはれを感じさせるものです。

 

ほんたうに短かかりしよこの生は 正福寺のさくら高遠のさくら (蝉声)

広島県東広島市の正福寺山公園と長野県伊那市高遠城址公園は、どちらも千本以上ある桜の名所として知られています。作者は、過ぎ去ってみれば短い人生だったけれど、これらの名所の桜のように美しく咲き誇ることができたと詠んでいるのではないでしょうか。桜の花は儚く散ってしまうけれど、木は生き続け、また次の春には花を咲かせるように、命は繋がっていくという希望も感じられます。

蝉声という歌集は河野裕子さんの死後出版されたものです。その中で共感したのが、次の句です。歌を作った日に茗荷(みょうが)の花(脚注)を食べたようです。

 

死がそこに待つてゐるなら もう少し茗荷の花も食べて良かつた 


ついで、豊臣秀吉の辞世の句ですが、同じように無常とあはれを感じます。

露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速の事も夢のまた夢

(露のように落ち、露のように消えてしまう私の人生よ。大阪城で過ごした日々も、今では夢の中のまた夢のように思える)この歌は、仏教の無常観と過去の出来事への感慨が込められています。

 「露」とは儚いもの、すぐに消えてしまうものの象徴です。「をち」は「落ち」を意味し、露が落ちて消えてしまう様子を指します。「なにわの事もゆめの又ゆめ」とは、なにわ(大阪城)で起こった出来事、つまり天下人としての栄華は、すでに夢のようなものであり、それがさらに「夢の中の夢」のように遠いものだと述べています。

 

私も一句

葉は落ちて街路樹眠る冬の道 寒椿燃ゆ人も歩まん

 

脚注、茗荷の花はとても香ばしくて美味しいですが、食べ過ぎると物忘れがひどくなると言われていたようです。