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西行法師「こころなき身にもあはれはしられけり」を解説。歌に学ぶ「あはれ」の心

こころなき 身にもあはれは しられけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ

 西行法師(新古今和歌集

(現代語訳:世俗への執着を捨て、心など無くなったはずのこの身にも、しみじみとした情趣というものは感じられるものだなあ。夕暮れの秋の沢から、一羽の鴫がふと飛び立つこの情景に…。)

「心を捨てた」はずの僧侶が、誰よりも深く「もののあはれ」を知る。 この歌は、そんな逆説的な魅力に満ちた、平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた歌人西行法師の名歌です。

なぜ彼は、自らを「心なき身」と詠んだのか。そして、彼が感じ取った「あはれ」とは一体何だったのでしょうか。その生涯と共に、歌の奥深い世界を探っていきましょう。

 

鴫立つ沢の 秋の夕暮れ

 

 

詠み手、西行法師とはどんな人物か?

 

西行(1118年~1190年)は、元々は「佐藤義清(のりきよ)」という名の、将来を嘱望されたエリート武士(北面の武士)でした。しかし、動乱の世の無常を感じたのか、23歳という若さで妻子を捨てて出家。仏道修行に身を投じます。

京都の周辺や聖地・高野山に庵を結び、時には寺院再興のための勧進(寄付集め)で諸国を旅する生活を送りました。その生涯を通じて、自然や自身の心と向き合い、1500首以上もの和歌を詠んだと言われています。

 

歌の謎を読み解く

 

 

「心なき身」の真意とは?

 

私が最初にこの歌に触れた時、「心がない」とはどういう意味だろうと不思議に思いました。

これはもちろん、感情がゼロになったという意味ではありません。出家によって、俗世的な欲望や、激しい喜怒哀楽の感情からは自由になった身、という意味です。いわば、静かで穏やかな水面のような心境と言えるでしょう。

しかし、西行は続けます。そんな静かな心であっても、なお揺り動かされるものがあった、と。

 

西行が感じた「あはれ」とは何か?

 

「あはれ」とは、現代語の「可哀そう」とは少し違い、しみじみと心に深く染み渡るような情趣を指します。

秋の夕暮れ、静まり返った沢。そこに響く、一羽のシギが飛び立つかすかな羽音。その一瞬の生命のきらめきと、やがてすべてを包み込む静寂。その儚くも美しい情景に触れた時、世俗の感情を超えた、魂の深い部分が震えるような感動、それが西行の感じた「あはれ」なのです。

「俗世を捨て、もはや何も感じないはずの私ですら、この風景には心を動かされてしまう…」

そこには、物事の本質を純粋に感じ取れるようになった喜びと、それでもなお感動してしまう自身への、少しばかりの自嘲も込められているのかもしれません。

 

旅する西行

 

西行の生き様を映す、もう一つの名歌

 

西行の「あはれ」の心は、自然、特に「花(桜)」に対しても深く注がれました。彼の人生の締めくくり方を示す、有名な一首があります。

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

(現代語訳:できることなら、満開の桜の下で、春に死にたいものだ。ちょうど、お釈迦様が入滅された2月15日の満月の頃に。)

驚くべきことに、西行はこの歌の願い通り、文治6年(1190年)2月16日、満開の桜の季節にこの世を去りました。お釈迦様への深い帰依と、桜への愛情が結実したかのような最期は、後世の歌人たちに大きな感銘を与えました。

 

西行の旅、その影響

 

西行は生涯を通じて旅する歌人でした。その孤独な足跡は、後の時代の芸術家たちに大きな影響を与えます。特に有名なのが、江戸時代の俳人松尾芭蕉です。代表作『おくのほそ道』は、西行が旅した東北の歌枕(和歌に詠まれた名所)を辿る旅でもありました。

 

まとめ:「あはれ」を知る心とは

 

西行法師の歌は、心が「無い」からこそ、物事の本当の姿が見えてくるという、仏教的な真理を教えてくれます。

情報や刺激に溢れ、心が常にざわついている現代。私たちも、時には静かな自然の中に身を置き、ふと飛び立つ鳥の羽音に耳を澄ませるような時間を持つことで、西行が感じた「あはれ」の心に、少しだけ触れることができるのかもしれません。

 

参考文献

西行:歌と旅と人生 (新潮選書)

西行 山家集

西行 魂の旅路