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日々の雑感

字を知らぬ者こそ、真実を知る - 親鸞『正像末和讃』を読み解く

よしあしの 文字をもしらぬ ひとはみな 
   まことのこころ なりけるを
   善悪の 字しりがおは 
   おおそらごとの かたちなり
親鸞正像末和讃」(『浄土真宗聖典』622頁)
 
(良いとか悪いという文字を知らない人はみんな、真実の心を持った人です。善悪の文字が、わかったと思って使ってる人は、かえって何も分かっていないのです。)
 
 
親鸞が88歳のときに詠んだ上記の和讃、「正像末和讃」の一節には、善悪を超えた「まことのこころ」を持つ人々への深い敬意が表れています。この和讃の背景には、親鸞が長年追求してきた浄土真宗の核心が凝縮されており、善悪や知識の価値を相対化し、人々の真実の姿に光を当てる彼の視点が浮き彫りになります。本稿では、この和讃を基軸に、法然蓮如の言葉とも照らし合わせながら、その思想の深まりを考察します。
 
和讃の意味するもの
 
和讃冒頭の「よしあしの 文字をもしらぬ ひとはみな まことのこころ なりけるを」という一節には、分別を否定し、文字や知識を超えた「真実の心」の重要性が語られています。この言葉には、仏法の本質を理解するのに世俗的な知識や知恵が必ずしも必要ではないという親鸞の深い洞察が込められています。親鸞は、人間の価値を善悪や知識の有無で測ることを否定し、阿弥陀仏の本願の前ではすべての人が平等であるという浄土教の教えを体現しています。中観の究極の真理(第一義諦)を踏まえています。
 
親鸞の著作『歎異抄』には、彼のこのような思想が端的に示されています。たとえば、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は、「善悪を問わず阿弥陀仏の救いがすべての人に及ぶ」ことを意味します。善悪を超えた視点が、浄土真宗における救済の本質なのです。
 
法然の教えとの関連
 
親鸞の師である法然のもののうちに、まことの心について書かれたものが残っています。
 
往生は  世にやすけれど   みな人の  

     まことのこころ   なくてこそせね
 
(極楽に往生することはとても容易ですが、どの人も真実の心がないからこそ往生しないのです。)
 
この和歌の中にあるまことの心とは、真実のことであり三心の中の至誠心の意味です。至誠心は、生活上の雑事にあまりとらわれず、念仏を一生懸命唱える行(ぎょう)を行うことです。三心とは、『観無量寿経』に説かれる3種の心のことです。至誠心(まことに浄土を願う心)、深心(阿弥陀仏の本願の救いを深く信じ求める心)、回向発願心(所修の功徳を回向して浄土に往生しようと願う心)の三心のことです。この三心は念仏という行をすれば自然と備わってくるというのが法然の教えです。さらに、三心を備えているものは必ず浄土に往生できるといいます。
 
法然の思想の中心にあったのは、自己の行いや努力に頼らず、阿弥陀仏の力に身を委ねる「他力本願」の教えでした。親鸞はこれをさらに発展させ、人間の煩悩をも含めた「悪人正機説」という形で具体化しました。法然の「念仏一筋」という教えが、親鸞の善悪や知識への相対的な視点につながっているのです。
 
蓮如の解釈と民衆への浸透
 
蓮如親鸞の思想を引き継ぎ、民衆に浄土真宗の教えを広めた人物です。蓮如が書いた『御文章』には、親鸞の思想をわかりやすく噛み砕き、庶民に伝えるための工夫が随所に見られます。その中には、「仏法の要は他力の信心にあり」という言葉があります。
 
蓮如は、信心が形式や知識に依存しないことを強調しました。「善悪の字しりがおは おおそらごとの かたちなり」という親鸞の和讃の一節に通じる内容が、蓮如の教えにも息づいています。蓮如は、知識や理屈にとらわれず、阿弥陀仏への素直な信を持つことが大切だと説きました。この姿勢こそ、浄土真宗の教えが民衆に広く受け入れられた理由の一つといえるでしょう。
 
現代への示唆
 
親鸞が「善悪の字しりがお」を批判したのは、知識や理屈にこだわるあまり、人間の本質的な価値を見失う危険性を指摘したかったからでしょう。人々が日常の真理(世俗諦)にとらわれていることを示しています。この教えは、現代社会における評価や判断の在り方に重要な示唆を与えています。私たちは往々にして、人々の価値を外見や業績、知識の多寡で測りがちです。しかし、親鸞が示した「まことのこころ」に目を向けるとき、人間の本質的な尊厳と可能性が見えてくるのではないでしょうか。
 
結び
 
親鸞法然蓮如の教えを通じて、「正像末和讃」の思想がより深く理解できます。この和讃が語るように、善悪や知識を超えた「まことのこころ」に立ち返ることで、浄土真宗の真髄が見えてきます。現代の私たちにとっても、その教えは新たな光を与えてくれるでしょう。

 

参考文献のリンク(下記をクリックしてください。)

浄土真宗聖典

法然上人のお歌