現世の悲しみと、かすけき喜び
心に深く刻まれた一首の和歌があります。病と向き合いながら生きた吉野秀雄さんの「苔径集」の最後の歌です。その言葉は今なお私の心の琴線に触れ続けています。
かなしみを 基(もとゐ)とすなる うつし世に
かすけきものか このよろこびは
―― 吉野秀雄 苔径集
この歌は、「悲しみがこの世の根底にあるのだ」と、この歌は静かに語りかけてくるようです。そして、そのかすかな喜びこそが、生を支えるものだと読めるでしょう。
一見すると暗く重たい世界観に映るかもしれません。しかし、不思議なことに、どん底の絶望の中でこの歌に出会い、新たな生きる勇気を見出した人がいるといいます。
火宅(ひのいへ)と 誰(た)がいひそめし 人の世は
うべかなしみの 絶えざりにけり
―― 吉野秀雄 苔径集
この歌も同じ『苔径集』に収められています。人の世を「火宅」と呼んだのは、まことに言い得て妙である。この世には本当に悲しみが絶えることがないのだから、という意味の歌です。 ここでいう「火宅」は、仏教、とりわけ『法華経』譬喩品の「三車火宅の譬え」に由来する言葉です。以下の記事が参考になります。
私たちは時として、自分だけが悲しみに沈み、周りの人々は幸せに満ちているように感じ、その落差に心を痛めることがあります。でも、この歌は静かに語りかけてくれます――「悲しみこそが、この世の真実の姿なのだ」と。
そう受け止めると、不思議と心が軽くなることがあります。自分だけが不幸なのではない。誰もが同じ悲しみの地平に立っている。だからこそ、その中でまれに訪れる喜びの瞬間は、より一層愛おしく輝いて見えるのではないでしょうか。
この歌には、深い悲しみの中にあっても、「それでも、生きていこう」という静かな決意を促す力が宿っています。今を生きる私たちの心に、深い慰めと希望を届けてくれるのです。
興味深いことに、人生の苦しみを見据える姿勢という点では、徳川家康の遺訓にも通じるものがあります。
人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりを敵と思へ。」
この家康の遺訓は、さらに古く中国の論語にある「任重而道遠(にんじゅうじどうえん)」に由来するといわれています。これは孔子の弟子の曾子(四書の一つ大学との関わりでも知られる)の言葉です。
『論語』泰伯第八「曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以為己任、不亦重乎。死而後已、不亦遠乎。」
曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠ければなり。仁を以て己が任と為す、亦重からずや。死して後已む、亦遠からずや。
意味:志ある者は、心が広く意志が強くなければならない。責任は重く、その道のりは遠いからだ。「仁」を実践することを己の任務とする。なんと重い責任ではないか。死ぬまでその努力を続ける。なんと遠い道のりではないか。