心に深く刻まれた一首の和歌があります。作者の名は記憶の彼方に消えてしまいましたが、その言葉は今なお私の心の琴線に触れ続けています。
悲しみを もといとすなる 現世(うつしよ)に かすけきものか この喜びは
この歌は、私たちの生きるこの世界が悲しみを土台として成り立っており、その中でわずかに灯る喜びの光を詠んでいます。
一見すると暗く重たい世界観に映るかもしれません。しかし、不思議なことに、どん底の絶望の中でこの歌に出会い、新たな生きる勇気を見出した人がいるといいます。
私たちは時として、自分だけが悲しみに沈み、周りの人々は幸せに満ちているように感じ、その落差に心を痛めることがあります。でも、この歌は静かに語りかけてくれます—「悲しみこそが、この世の真実の姿なのだ」と。
そう受け止めると、不思議と心が軽くなることがあります。自分だけが不幸なのではない。誰もが同じ悲しみの地平に立っている。だからこそ、その中でまれに訪れる喜びの瞬間は、より一層愛おしく輝いて見えるのではないでしょうか。
この歌には、深い悲しみの中にあっても、「それでも、生きていこう」という静かな決意を促す力が宿っています。今を生きる私たちの心に、深い慰めと希望を届けてくれるのです。
興味深いことに、徳川家康の遺訓にも同様の思想が見られます。
「人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりを敵と思へ。」
この家康の遺訓は、さらに古く中国の論語にある「任重而道遠」(にんじゅうじどうえん:任重くして道遠し)に由来するといわれています。人生の道のりは長く、担うべき責任は重い—そんな普遍的な真理を、時代を超えて私たちに伝えているのかもしれません。